というかもうインターネットで「何者か」になっても意味ないんじゃねえの。あと思ってることぶちまけたら長くなっちゃった。
自分は絵師という呼称が好きじゃない。
もとより絵師という言葉が使われたのは、江戸時代における画家の呼び方から始まったのだけれども、今となっては別の意味になってしまって個人的には以前からどうにも絵師という呼称に良い印象を抱かない。
これはイラストや漫画を描いている人に対して良い印象を抱いていないのではなく、絵師を自称するヤカラや絵を描いている人を絵師と呼ばりしてるヤカラに対しての話ね。
絵師という呼称が頻出するようになったのは、自分の主観的な認識ではツイッター上で、pixivとソーシャルゲームが隆盛し始めた頃だった記憶がある。当時のソシャゲバブルに調子ぶっこいた木っ端のIT会社などがいい加減な心構えでイラストレーターに仕事を依頼したものの、ギャラを不当に値切ったり、あるいは踏み倒したりするケースが見られたし、pixivではイラストレーターにクソDMが送り付けられるというケースが多発していた。というかこういうことって今も繰り広げられているな。
それもしばらくした後、今度はこれまた木っ端なソシャゲタイトルといったオフィシャルの立場にある存在が絵師という呼称を使い始めた。今でいう「推し」というワードをアイドル側が使っちゃうような興ざめ感。「このイラストすごいでしょう」じゃなくて「この絵師様を登用した俺たちすごいでしょう」感が透けて見える。
で、極めつけは最近に至っての画像生成AIでイキってる連中よ。既にご存知の通り、イラストを描いてる人間に対して、度を越した嫌がらせが繰り広げられている。殺人予告とかもあって、十分に犯罪の範疇だ。
それでよくわからない理屈で"絵師"を特権階級とか言っちゃってて、そいつのこれまでの人生の空虚さが垣間見れて面白い。ほうぼうで繰り広げている嫌がらせは笑いごとじゃないけれど。
そういうヤカラに限って、だいたい”絵師”という呼称を使っている。イラストレーターや漫画家の区別もない。区別つけられるほどのおつむも無いのだろう。
というか何らかのプロダクトを作り出せるなら、絵師じゃなくても特権階級だと言えるのだろうけれども、不思議とAIでイキってるヤカラは絵を描く人間にばかり嫌がらせをしている。一方で声優の声をぶっこ抜いているモデルがあったり、テイラー・スイフトや政治家のディープフェイクの事件に関してはだんまりを決め込んでいた。一部の頭のイカレた連中は故人のデータを好き勝手したりと、見境も倫理観も無いのだけれども。
どちらにせよ、完全に喧嘩を売る相手を選んでいる腰抜けのチキンでしかない。今風に言えばチー牛か。牛なのにチキンとはこれ如何に。
ぼくは〇〇師!
思い返してみれば、以前から絵師という呼称の他にも"MIX師"だの"加工師"だのといった連中も存在していたな。たいていは同じように"ヤカラ"じみた連中だった。
ここまで考えみて結局のところ、"なにがし師"と自称している連中は、要はこれまで大して何かに打ち込んだこともなく斜に構えていて何もしてこなかった分際で、他人のプロダクトに大したスキルも必要ない作業でいっちょ噛みしてフリーライドして存在感をアピールしたいだけのたちの悪いワナビでしかないのだろう。自分の中では、安っぽい3Dアバター被ってボイスチェンジャーの気持ち悪い声でVtuberやってるのも同じ括りに入っている。iPhoneのミー文字使ってるヤカラも根本的にセンスというものが壊死してるとしか思えない。
アレだ。「バンドメンバー募集、当方ボーカル(うたってみたをやってるだけ)」とか、「同人ゲーム制作メンバー募集、当方シナリオライター(なろうでエタってる)」とかそんな感じ。多分、自分がなりたい「何者か」になるために必要なスキルを舐め腐ってるし、インターネットでクソリプと自分語りと知識マウントしてる間に、他人が自動的に自分をすごい奴に仕立て上げてくれるんじゃないかと期待してるような、他人任せな態度が透けて見える。
一応"MIX師"については、50歩くらい譲って多少なりとも作品作りに貢献しているんじゃないかーとは思えるのだけれども、実態のところはわからないので何とも言えない。SoundEngineで歌声とカラオケをくっつけてるだけかもしれない。
"加工師"が東方のキャラの色を変えただけで「ぼくのオリジナルキャラです!」っていうのをやってて、それはれっきとした盗用だよ。中学生がそういうことやってたら「あいたたた~、もうやめようなそんなこと」で済ましてもらえそうなものだけれども、だいたいが二十歳超えてこんなことやってるので、「誰だよこのモンスターを放置したのは」って頭抱えたくなる。
結局、"なにがし師"と自称している人間は、今はインターネットで大流行の「特に何かスキルを身につけることもなく何者かになりたい」ってやつなのだろう。
そんなわけで、”なにがし師”と自称していたり、あるいは他人をそう呼んでいる人間は何らかのよからぬ"他意"を含んでいると見てとれるし、平然と他人に悪意をぶつけることができる連中でしかないないと、自分はそうは見ている。そして最近になって、AIという便利で楽しいオモチャが降って湧いてきたので、それでインターネットでイキがっている。
そういえばの話になるけれど、"SS師"とか"小説師"とか"文章師"という呼称はあんまり見かけないね。まあ、それに似たような呼称はあるのだけれども、主語も範囲もでかすぎて真っ当にやってる人間も巻き込むので、それはここでは言わないことにする。どちらにしろどいつもこいつも、ツイッターでイキってるのは共通しているし。
最近では、そういう連中がweb小説サイトから書籍化を果たして「何者か」になるハードルが下がっているのだけれども、「何者か」になるハードルが下がった分、書籍化を果たして「何者か」になった自分がエラくなったと勘違いしているヤカラがうじゃうじゃ湧いてきた。そういう連中の言動は正直こちらのメンタルにもダメージが及ぶほど見てられないものがある。
ちょっと話はズレるけど、書籍化を果たした途端にSNSからスパッと手を切った作家も何人か見て、リスクヘッジというか危機管理というものができているなと思う。
最初からはき違えてる"〇〇師"
「やりたいことがある、作りたいものがある」ということよりも「何者かになりたい」というワナビにとって"なにがし師"というのは、収まり具合の良いオナホみたいなもんなんだろうね。
で、絵師とか言われるように"なにがし師"とかいうしょっぺえ物差しで、他人を勝手に当てはめて値踏みしてるから顰蹙を買ってるように見える。
オリジナル世界観の中で生きてきて、歪んだ物差しで他人を測っているのだから、イラストを描いてる人間を特権階級などと意味不明な形で侮蔑することができる。タイムラインで流れてきた具合では、「いいね」をたくさん貰えたり、Vtuberとお近づきになれるから特権階級呼ばわりしてて、もはや恐怖を感じるほどの認知の歪みっぷりとういか意味不明さだった。
こじらせ方ひとつ取ってもギャグもなくて何も面白くもないし、それどころか取返しのつかないレベルまで足を踏み入れている。むしろそれぐらいこじらせてれば、何かひとつやれることがあると思うんだけど。私小説のひとつでの書いてみたらとは思う。
こういうヤカラはインターネットが無い時代は誰にも認知されずに朽ちていったのだろうし、ひと昔前なら匿名掲示板の肥溜めの中に沈んでいたのだろうけれど、このSNS社会によって「結果として"なにがし師"と呼ばれるようになった作り手」たちの姿を間近に殴れる距離まで近づくことができるようになり、生成AIの登場によって殴りやすくなってしまった。ネット回線上なら殴り返される心配もないので、安心して他人様をサンドバッグにできる。
マイク・タイソンじゃないけど、SNSのせいで本当にタガが外れたヤカラが多いんだろうね。
そもそも何かを世に出したいという人間は、別に"〇〇師"という肩書にはそんなにこだわっていない、と自分は認識している。自分も"小説師"だの"エンジニア"だのと呼ばれることよりも、自分のプロダクトを評価して欲しい。
長々と書いてきてしまったが、結論としては今の腐ったインターネットで「何者か」だの「〇〇師」とかになっても意味はない。「何者か」だの「なにがし師」になれたところで、自分のやりたいことを「手を動かして仕事すること」ではなく「インターネットで"なにがし師"として振る舞う」ことだと履き違えている。その時点で、そいつはもうろくでもない危険人物なので危害が及ぶ前に、護身のために距離を置いたり、隔絶するための隔壁を降ろしたほうが安全だと思えるようになってきた。
もう見ている世界があまりにも違う。