好きにもいろいろ種類がある。共感の好き、憧憬や尊敬の好き、感嘆や驚嘆の好きなどがある。共感は「あるある」「だよねー」などと言いながらおしゃべりできると楽しいかもしれないが、他は別に会話がなくてもいい(私の場合)。でもあなたの話は聞きたいので一方的に話してくれると理想的かも。
ここまでは一応実在対象(いわゆる3次元)に対しても適応できる話なのだけど、主に非実在対象に対する好意として「概念強度が好き」というのが私にはある。そのキャラのキャラ性が良い方面だけでなく悪い方面にも適用されたり、変化のし方にも「そのキャラらしさ」を感じられたりするとこの好意を感じる。それが現実では不可能な強度(たとえば千年続く好奇心とか)で出されると「最高で最悪」「これぞフィクションの醍醐味だよ」という気持ちになる(唯一のというわけではなく、他にもフィクションの醍醐味はあるが、それはそれとして)。タロットの正位置と逆位置の解釈が好きなのとかもこれかもしれない。
蛇足。実は強度に対する好意は実存在(3次元)にも適用できて、「筋が通っている」「一貫性がある」などと感じると好意を持つ、というか「筋が通っていない」「一貫性がない」「あのときああ言ってたのに今回はこうなの?」などと感じると嫌悪を持つという現象はあるように思う。でも現実の人間はそんなに安定しないし変化するものだからそんなに気にしないでいきたい(どうしても気になってしまうことはあるとして)。現実はできるだけゆるやかにまったりやっていきたい。