2023年12月31日

とこわか
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昨夜の23時半過ぎ。母が「やばい、一夜飾りになるとこだった」と神札をエコバッグから取り出し、神棚へ。そんなカジュアルな扱いでいいのだろうか。テレビをやっと消してくれたので2人そろって居間で就寝。新潟の夜は寒くて何度かトイレに起きる。母も神経質なのでそのたびに気付く。年に数回しか帰省しないけど、自分の部屋が欲しいと思う。この家はもともと祖父が独身貴族の息子のために誂えたもので、子ども部屋の概念が存在しない。1階は和室の居間、洋間、台所のみ。洋間はかつてわたしの部屋で、いまは弟が使っている。2階はわたしが物心ついたときから物置状態だ。年内には難しくても、今回の帰省で2階をなんとか片付けて一人で過ごせる場所をつくりたいと思っている。

8時過ぎにだらだらと起き、大晦日なので大掃除をする。今年は居間にグレイのふかふかのカーペットが敷いてあり、まだ新しいので掃除機をかけるのに抵抗がある、と母。しかも手洗いもドライクリーニングもできないって買ってから気づいたそう。ならばと新品のゴム手袋をはめて強めに毛を撫で、髪の毛や小さなゴミをかき集める。カーペットのあとに神棚の埃を払い、埃が落ちたのでカーペットを撫で、仏壇の埃を払い、埃が落ちたのでカーペットを撫で、電気シェードの埃を払い、埃が落ちたのでカーペットを撫でた。ばかだった。6人は入れる大きなこたつを出してきて、廊下や玄関も軽く掃除して終了。

大晦日は祖母を呼んで一緒におせちを食べるのがここ数年のならわしで、祖母が来たときに見た目さえキレイならそれでいいよねというのが我が家の暗黙の了解になっている。子どもの頃は祖母の家でサマーウォーズみたいに親戚一同でわいわいやっていたのが懐かしい。みんなが集まっていた築100年の古民家は2004年の中越沖地震で傾いでしまい、祖母は今、わたしの実家から2㎞離れたアパートで一人で暮らしている。

16時、祖母はせっかちなので、もう迎えに行っちゃおうと弟と車に乗ろうとしたら祖母から電話。昨日、母と弟が魚市場で買った魚を祖母に託して、煮付けと塩焼きにしてもらえるように頼んでいた。その魚を入れる重箱を持参してほしいと言うのでとりあえず大きめのタッパーを持って急いで祖母の家へ。祖母はこたつで新聞を読んでいて、こんなに早く迎えに来なくてもいいのに、と言っていて拍子抜け。

祖母がつくった黒豆(鍋ごと)、昆布巻き、田作り、くわい、筍の煮たの、きんきの煮付け、塩をしてあとは焼くだけのかますなどをたずさえて3人で帰宅。母がつくったきんぴら、栗きんとん、のっぺ、紅白なます、弟が買ったカニと刺身なども食卓に並べて、4時過ぎにはもう宴会スタート。

筍の煮物がしみじみおいしい。今年は黒豆はかためもいいかも、って早めに鍋からひきあげたのと、もう少しだけ柔らかく煮たやつがあるよと祖母が言う。確かにどちらも例年より歯ごたえがあってそれもまたいい。なにより、100歳の祖母の手料理を食べられるのは贅沢だ。目を合わせておいしいねと言いあう。

昨年は祖母と母がちょっとだけ仲たがいしていて、とりなすためにきっちり起きていたけれど、今年はいい気分でお神酒を飲んでこたつでうたた寝。気づいたらもう紅白が始まっていた。祖母はわたしが起きたのを見とどけたあとに母の車でアパートに帰り、そのあとは3人でまただらだら。わたしはNewJeansに釘づけ。バンタンが好きだけど、日本語歌詞の発音は圧倒的にセブチの方がうまい。なんだかんだでずっと紅白を観て、ゆく年くる年もちょっと観てお風呂にも入らず就寝。