2024年1月1日

とこわか
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昼までだらだら。母が舞茸と長いものてんぷらを作ってくれ、昨日食べなかった年越し蕎麦を茹でて2人で食べる。居間ではずっと中国の宮廷もののドラマが流れている。マンションの隣室の換気扇の不調まで分かるくらい聴覚過敏なわたしにはつらい状況。しかし母は録画した番組を観るのが生きがい。ずっとここにいるとつらいし、祖母の家に遊びに行く約束をしていたので14時過ぎに家を出た。雨は午前中にぱらついていたけど雪はないので歩いていく。2年くらい前までは母に甘えて車で送ってもらっていたけれど、とにかく母がいつも疲れているので頼まなくなった。フライトキャップで耳を隠していると寒さもあまり気にならない。

祖母は耳が遠いので、チャイムは鳴らさず合鍵で部屋に入る。祖母はこたつで寝ていた。こたつのうえには食べ終わったカップ麺の蕎麦。昨日は予想外の魚まで焼いて疲れたんだろう。起きるまで何をしよう、今日は本は持ってきていないしと考えているうちに祖母が起きた。もらった餅がカビていて、カビたところを削ぎ落していたら疲れたと言う。

祖母がお湯を沸かそうと台所に立ったので、手伝う。電気ポットに湯を入れ、ほうじ茶を淹れて2人で飲む。祖母はわたしが子どもの頃からある筒形のタッパーウェアからおせんべいやらもみじをかたどった琥珀糖を出す。「北日本製菓のこれが好きでさ」「ああブルボンね」というなじみのやりとりをしながらこたつで何杯もお茶を飲む。祖母は大正生まれなので企業名を創業当時の方で呼ぶのだ。

祖母の家もテレビはつけっぱなしで、サッカーの試合結果や天気予報なんかがニュースで流れていた気がする。小さな地震速報の文字を目で追っていたら、大きな警報音とともに赤文字で緊急地震警報の表示が出た。祖母にも分かるよう「おおきな・じしんが・くるって」とゆっくり伝えた直後、揺れが来た。

建物自体が横にぐわんぐわんと揺れる。台所でトースターが派手な音を立てて落ち、こたつの横の時計が降ってきた。箪笥が倒れたらどうしよう。とっさに祖母に覆いかぶさるようにして肩を抱く。祖母は中腰でこたつに手を添えて耐えていた。一度座ると立つのに時間がかかるから、座らない方がいいと思ったんだろう。こんなに激しい揺れは初めてで、これはわたしが状況判断を間違えると2人ともあぶないと感じた。

揺れがおさまって、あたりを見る。100歳の記念で市から贈られた花瓶が倒れ、床が濡れていた。とりあえず床をティッシュで拭く。長いコンセントの線を束ねて家具の一部に紐でくくっていたので、オーブントースターは宙吊りになっている。このオーブンを下に置きたい。でもこの紐、切ると祖母が怒るだろうなと緊急事態なのに思ってしまう。結局、わたしがオーブンを抱え、祖母に紐をほどいてもらう。その頃テレビでは「津波が来ます、逃げて」と切迫した声で繰り返し伝える女性アナウンサーの声。逃げてと言われても、どこに?ここは海からは3、4㎞は離れている。ここまで波が来るとは考えにくい、でも福島の地震のとき波は陸地にどのくらいまできたんだろう。目の前に公共施設があるけど元旦で閉まっているし、祖母をこの状況で歩かせるほうが危ない。とりあえず祖母と物が少ない廊下に移動。スマホに母と弟からいくつか着信があり、なぜか家の方に掛けなおす。誰も出ない。自分が動揺しているのに気づく。着信があったライン電話のほうに掛けなおして母とつながる。「いまどこ?」「ばあちゃん家、ばあちゃんもいる」「迎えに向かってるから、すぐ着くから」と言われてかなりほっとした。すばやくサコッシュを下げてダウンを着て、祖母にも上着を着せる。祖母の鞄をとってきて肩にかけようとしているときに母が来た。祖母がマスク、と言って部屋に戻ろうとしたのでぐいっと腕をつかんで制してしまい、祖母の身体がぐらつく。自力で踏んばってくれたから転倒しなかったけれど、あぶなかった。普段はこんなこと絶対にしないのに。弟の運転でとりあえず海から離れた高台の総合体育館へ。

建物近くの駐車場に車を停めることができた。状況を把握するためにわたしだけ体育館へ。人が集まり始めていて、すでに椅子はたくさん出してある。暖房は効いていなくて、つけていたとしても暖まるまで時間がかかりそう。みんな自販機で水を買っていたのでわたしも2本だけ買う。受付にいた人に状況を聞くと、市からはまだなんの指示もない、コミセンの方が優先して避難所として開設されるはず、宿泊したい場合はコミセンの方が畳があって快適だと思いますと話してくれた。この人も正月で休みのはずなのに、急いで職場に来て鍵を開け、この場を開放してくれたんだろう。

建物内は寒いから車にいようとみんなに伝える。私がいない間に目の前に車が停まっている。ご高齢の方を乗せてた、相手も停めていいですかと一言断ってくれたと母が言うけれど、いざというとき車を出せないのは不安だなと思った。助手席の方が暖かいので祖母と席を代わる。弟のケーブルを借りてスマホを充電。母は部屋着に裸足で着の身着のまま出てきたので足が寒いという。ダウンを貸してひざ掛けにしてもらう。緊張して血の気が引いて手が冷たいというのでしばらく手を繋いでいた。わたしもこのほうが安心する。

さっきトイレに行ったのに、また行きたくなって体育館へ。個室に入ったら涙が出てきた。自分の安全もそうだけど、家族を守り切れるかのプレッシャーがすごい。自販機でさらに3本水を買って車に戻ると、今度は祖母がトイレに行きたいと言う。いっぱいお茶飲んだもんねぇと言いながら母とついていく。祖母と母は女子トイレの長蛇の列に一旦並んだけれど、わたしは多目的トイレに並び、多目的トイレが空いたら近くの人に断って祖母を誘導。列に並んでいた中学生くらいの女の子が扉を抑えてくれてありがたい。なんだかまた泣きそうになってしまう。自分がまだ機敏に動ける歳で、家族の役に立てるのはよかった。多目的トイレのなかで祖母が、みんな並んでいるのに申し訳ないと言い、母がなだめているのが聞こえた。いつかわたしも老いてサポートされる側にまわる。そのときはやっぱり、まわりに謝ってしまう気がする。

体育館の外の広場で一人、体をのばす。20年前、ここで成人式やったなぁ。原発は異常なしのアナウンスがあったけれど、どうせあとから不備がありましたと訂正されるだろう、だから本当は屋外にいない方がいいと頭では分かっているけれど、しばし歩き回ってから車に戻る。斜め横のスペースが空いたので、目の前に停まっている車の人を探して移動してもらう。

19時をまわっておなかがすいてきたと話していると、体育館側から「避難所認定されていないので食事は出ません、宿泊もできません」と放送があり、家に帰ることにする。実家の廊下の棚は派手に倒れ、2階からは段ボールが落ちてきていた。4人でまたおせちを食べ、祖母には泊まってもらうことにする。いつも飲んでいる薬や掛け布団をとりに祖母のアパートに行き、つけっぱなしだったこたつの電源を切る。落ちていたおじいちゃんの写真をここにいてね、とこたつのテーブルにのせて部屋を出た。

今日は実家の居間で3人で寝る。3人とも手元にライトを置いて就寝。2人ともたまにいびきをかいている。うるさいけれど今日ばかりはほっとする。