昨夜は仲間うちのお姉さん達のおしゃべりをイヤフォンで聞きつつベッドでうとうと。結局1時くらいまで聞いていた。
完璧じゃなくても、来た物事に対してすぐに打ち返していく人っているよねって話に頷く。そういう人の方が人生の物事が動きやすいよなぁと思いながら入眠。
寝不足のまま7時に起き、東京駅へ。予定より早く着いて、停まっていた新幹線に適当に乗る。停車駅が多くて乗車時間が長い便だったせいか、自由席に座れた。隣の30代くらいの男の人の持ち物はトートバッグひとつ。わたしもこれくらいの身軽さで旅したいと思いつつ大荷物を足元にでん、と置く。読んでも読まなくても本を数冊持っていると落ち着く。
地元の駅の改札を出ると、母が待っていた。本当にこの人でいいんだっけ?と一瞬迷う。自分が覚えているより少し老いた母と笑顔を交わして、急いで記憶を上書きする。夏に会った姿ではなく、これが今の母。ほんの微調整だよと自分に言い聞かせつつ、はぐれた子どものような心細さを感じる。並んで歩く。
駐車場で待っていた弟の車に3人で乗り込み、製餡所で正月用のつぶあんを1キロ買う。そこは甘味処もやっていて、生前、父はよくそこのあんみつを食べたがった。父は一人では行きづらいから家族の誰かを誘う。でも糖尿病の父があんみつを食べていいわけはない。店の前まで行って定休日だとほっとしたし、ざまーみろって思ってたと母と弟と言い合う。そのあとは、馴染みのラーメン屋さんへ。このために早起きしたんだよ!ここの担々麺がいちばん好き。野菜の優しい甘みと唐辛子の辛さが合わさったスープに細ちぢれ麵。小学生の頃から何度も食べている味。でも欲張って大盛にしたら多すぎて最後は弟に手伝ってもらった。
午後は弟と釣りへ。日本海側には珍しい快晴で波はおだやか、空も広くて気持ちいい。手に持っている釣竿はぼんやりするための免罪符みたいなもんで、ただただ景色を味わっていた。海鳥が潜るあたりに魚がいるんだろうとそちらに気まぐれに竿を振ったら根がかり。弟が30分前に買った擬餌針を大海原にリリース。ごめん。擬餌針の予備はないし、釣りにも飽きていたから一人で岬の神社へお参りする。小さい社の前に水をひいたコンクリートの箱のような溜め池があって、青々とした藻が茂り、タニシの赤ちゃんや小さなエビみたいな生き物が元気に動きまわっていた。人間界とはまた別の世界を感じるとほっとする。いざとなったらそちらの世界に飛び込めばいい。
釣りをしていた港には帰らず、浜に降りて気に入った石を拾い集める。体に直接波の音がぶつかってくるのが気持ちいい。無心で石を拾う。波で洗われた石はまるく、くすんだ翠とオレンジ色のものが多い。翠とオレンジのマーブル模様で恐竜の卵みたいなのもある。シーグラスや貝の破片も砂を払ってサコッシュに直接入れていく。3歳くらいの男の子が向こうからやってきて「ここたくさんある!」とさっきまでわたしがしゃがんでいたところに座り込んで熱心に石を吟味し始めた。そうだよね、石拾うの楽しいよねぇと心の中で呟きながらずっしりしたサコッシュを下げて弟のところへ戻る。弟はわたしがいない間になまこを釣りあげていた。スマホで調べたらなまこは漁業権がないと持ち帰れないらしいと言うので写真だけ撮って海に戻す。なまこも石と似通ったオレンジ色だった。
帰りの車で弟が、家にいる母に電話してお風呂のスイッチを押しておいてくれと頼めと言う。そんな電話したらお母さん怒るよと反論したけれど、もう母と弟の二人暮らしの関係性はわたしには分からないしなと思い直して電話をかける。母、要件を言う前から声が怒っている。家に戻ると案の定、母は不機嫌。火の気のないところでずっとおせちを作っていたら頭が痛いという。鎮痛目的で風邪薬を飲んでいたので、肩を揉んでやるよと背中をさわる。肩も背中もガチガチで、指圧しながら申し訳ない気持ちになる。しかし頭が痛いならテレビを消せばいいのにそれだけは断固拒否された。あいかわらずテレビ中毒だなぁ。テレビは夜中までついていた。