X(Twitter)でこんなことをつぶやいた。
「生きてるだけで私がんばってる」「私は私を肯定して良い」と考えられて前向きになれるならそれはそれで良いと思うのだけど。
しかしそれは、まだ「がんばってなきゃいけない」「ちゃんとしてなきゃいけない」「ちゃんとしている自分が正しい」という呪縛にとらわれているのではないか?と、思うのですよね。
「がんばる」というのは「努力」と置き換えても良いと思うのだけど。努力というのは「達成したい目的」のために積み重ねるもので、がんばることそのものに目的は無くて。
人生に、もともと目的なんてないと思っていて。っていうか生まれる前から目的なんかあったらそれの方が嫌で。生まれた時から竜の紋章が光っても困るし、選ばれし者しか抜けない剣が抜けても困るし。
何かを達成するのも、それでたとえばお金がたくさんもらえるのも、すべては人生を幸せに、楽しむためにあるもので。たくさんのお金持ちになっても幸せとは限らないし、やっぱり昼間から飲むお酒は超楽しいし、スーパー銭湯なんかにいってスッキリしたあとのご飯も美味しい。ときどき、友達や後輩と飲みに行くのも、とても楽しい。
人生に、目的なんかなくて。あるとしたら、それは自分が、自分の好きなように目的を決めたら良い。
だから、嫌になったらその目的を捨てたっていい。結婚したかったけど、結婚できなさそうなら、独身を楽しんだって良いわけで。もしかしたら、結婚して家族の抱える問題に悩んでいたり、お金が足りなくて苦しい思いをしている人より、幸せかもしれない。
「社会は制約ばかりだけど、世界は自由だ」
と、僕はいつも思っていて。
社会にはさまざまな価値観や偏見、あれはやっちゃダメ、これはやっちゃダメなルールもたくさんある。理不尽もある。でも、それをどう捉えるかは自分の好きにしてよくて。
えらくなくたっていいじゃん。
人生が楽しい方が重要だもの、と思うんだよね。