と、ずーっと考えてるんですよね。
いや、「歳を重ねる」っていうのは、ただ単に歳をとるっていうだけのことなんだけど。
そうじゃなくて、その先にあるもの。
言い換えれば、成長とは何なのだろう、という。
僕はいま42歳で、さすがにまだ思考力が著しく衰えるとか、体力的にまったく動けないとか、そういうことはないのだけど。
というか正直に言うと判断力とか思考力においては、まだまだ若手の人たちより早く、正しい判断ができると思っている。むしろ、実際にはそれでメシを食ってると言っても良い。
ただ、まちがいなく、いずれこれらは衰えていくんですよね。
思考力はともかく、思考のスピードは絶対に若い人に負けていく。無論、体力なんて言わずもがな。
べつに、それはそれでしょうがのないことだし、それは悪いことでもない。また、死ぬまで何かに貢献しなきゃいけないわけでもなく、そもそもでいえば僕はべつに世の中に貢献するために生きてるわけじゃない。誰かに貢献できれば嬉しいし楽しいけど、僕は自分が楽しいから生きているのであって、社会に貢献するために生きているわけではなく。
だから、このまま衰えていってもべつに問題はないし、悪いことだとも思ってない。
ただ、人は、積み重ねによって成長するじゃないですか。
何かを繰り返せば必ず成長するわけではないのだけど、しかし繰り返せば何かは積み重なるわけで。歳を重ねることによる「成長」とは、では、いったい何なのだろう?と思うわけです。知力でも、思考力でもない。体力でもない。
一方で、歳を重ね、経験が増えるほどに、決めつける人が増えていく。これはこうだ、こうするのが当たり前だろう、何を言ってるんだ、若い奴らはわかってない、なんて。
世の中に「決まりきったこと」なんてほとんどないのに、根拠もなく「そんなのダメに決まってるだろう」と決めつけ、そして、若者に押し付ける。仕事なんだからやってあたりまえだろう、遅刻はダメに決まってるだろう、歳上は敬って当然だろう、とか。
まちがいなく、これは「まちがった歳の重ね方」だと思っていて。
本来、たくさんのことを経験したらそれだけ価値観が広がるはずなのに、むしろ真逆の方向に行ってしまう。自分が見てきたものがすべてであり、当たり前だと思い込み、相手の話を聞かなくなる。愚かだなぁと思います。自分の見てきたものなんて世界のほんの一部でしかないのだから、まず、相手の話を、相手の反応を見て、聞かなきゃいけないのに。自分なんてちっぽけなものなんだから。
じゃあ、歳を重ねるにつれて、積み重なり、若い人より優れる部分って何なのだろう?と、ずっとずっと考えています。それは、べつに「そうでなければならない」ということではなく。自分の生き方として、それを考えている。考えたいから。
そして、いつも思い出す人がいる。
いや、思い出す「キャラクター」がいる。
漫画「バガボンド」に出てくる、爺さんたち。
柳生石舟斎とか、宝蔵院胤栄とか。
たとえば、柳生石舟斎はあの漫画の中でこんなことを言ってたりする。
天下無双とはただの言葉じゃ
宮本武蔵が主人公の漫画で、天下無双を目指すお話なのに、劇中で天下無双の一人と恐れられる御大が、そんなことを言ってしまう。でも、それゆえに恐れられている。
たとえば宝蔵院 胤栄の爺さんは、ことあるごとに「にゃむっ」とか言ってるだけで、周りに恐れられている。ほんと、にゃむにゃむ言ってるだけなのに。
柳生石舟斎も宝蔵院胤栄も、腕力だけで言ったら現役世代の武蔵や小次郎にはすでに劇中の時点でもうかなわないはず。なのに、その存在感、その言動で恐れられ、尊敬もされて。
正しく歳を重ねるというのは、こういうことなんだろうなと思って。
それは、威厳を持つとか威圧するとか、言うことを聞かせるってことじゃなくて。二人とも、最強とは何か、天下無双とは何かを突き詰め、考え続け、自分なりの答えを持ち、しかしそれを下の世代に押し付けず、相手の話を聞きながら、振る舞いを見ながら、ときに適切な言葉を渡して悟す。
「天下無双とはただの言葉じゃ」というのはその最たる例だと思っていて。もしかしたら他の人に言わせればそれは違うのかもしれない。しかし、それも否定しない。自分のたどり着いた天下無双とは、ただの言葉だと理解した、という。
何かと真剣に向き合い、考え続け、自分なりの答えを見つけ、それを持って若者と向き合い、道標となる。決して押しつけるのではなく、自分の見てきた世界はこうだった。だから、こういうときは、こうしたら良いのかもしれない。しかし、そうじゃないのかもしれない、それは、自分なりに考えろ、と。
歳を重ねることによる成長というのは、自分なりの真理を探し、その積み重ねによって得たものを、きちんと自分のものにすること、なのだと思う。
自分が見てきたものがすべてだとも、当たり前だとも思わず、むしろたくさんのことを見てきたからこそ、なるだけフラットに、偏らず。それでいて自らの偏りを自覚して、若い世代に、何かを伝えられる存在。
それはたとえば、元日本代表監督のオシムさんのような人も、そうなのだろうなぁと思ったりもして。
僕もまだまだまだまだだけど、そういう存在になれるように、やっぱり日々考え続けて行きたいなと思います。
ま、でも、成れなくてもいいんですけどね。
自分が楽しいから生きてるだけだから。
でも、そういうスタンスを守って生き続けるからこそ、伝えられるものがあるんだろうなと思います。
人生なんて楽しければいいじゃん、とかね。