僕が育った家には、父と母以外にもう一人、大人がいた。
べつにそんな珍しいものでもなく、二世帯住宅で祖母がいただけなのだけど。
だから、正確には3人目の大人に"も"育てられた、になるだろうか。
二世帯住宅なんてそう珍しいものでもないが、かといって世間の多数派かというと、たぶんかなり少数派だと思う。少なくとも小学生当時、「祖父祖母と住んでいる」という人は、クラスにも1〜2人だったと思う。
もともと祖母が住んでいた家を、息子である僕の父が家族を連れて、建て直した。それが僕の実家。二世帯住宅といっても、家の中は繋がってない。同じ敷地内にはあれども、僕が祖母の家に行くには一度自宅の玄関を出て、となりの玄関を通らなきゃいけない、そんな構図だった。
今考えると、それがとても良い距離感だったように思う。
朝晩の生活は一緒にはしていない。だけど、週末には必ず一緒にご飯を食べ、クリスマスや正月なども一緒に過ごす。そして、行きたいと思えばいつでも隣に遊びに行ける。もちろん、祖母はいつも拒まず「あら、いらっしゃい」と孫である僕と妹を受け入れてくれる。
祖母は、とてもおおらかでおおざっぱな人。おそらく、大正14年生まれというあの世代からすれば、突出して「価値観に縛られない」人だったと思う。「人生楽しければいいのよ」と、そんなふうなことをいつも言っていた。子供の頃はわからなかったけど、あの世代、年代であれだけ価値観で他人も自分も縛らない人というのは、とんでもなく稀な人なのだと思う。
大変に旅が好きな人で、海外旅行にもよく行く人で。
やれインドだのトルコだのようわからんとこに行ってる人で。あるときトルコ旅行中に絵ハガキを送ってくれたんだけど、字が乱雑過ぎて「おばあちゃんはいま、パルコにいます」とか書いてあって。渋谷・・・?
あとで聞いたら、インドやトルコだけじゃなく、ベトナム、パキスタン、エジプトなんてところも行ってたらしい。あえて人が行かないようなところに旅行に行く。変な人だ・・・。
あんな頭の固い父を産み育てた人だとはとても信じられないほどにあけっぴろげで自由かつおおざっぱな発想の人で。そう、僕の父はとても頭の固い人だ。
いや、あれはそんな生やさしいものじゃない。某ラジオでも話したけど、小学生低学年に7時間の勉強を課し、当然平日は外で遊ぶことも許さない。人の話は聞かないし、すべて自分が正しいという人で。勉強しかしてこず、まともに友達すらいないような学生生活を送ってきた、経験の狭い人なのに。
だから、僕は父が嫌いでした。
自分とは違う世界、生き方があるとわからない人だから、かける言葉も厳しいし、相手に合わせた発言なんてできるわけもない。勉強ひとつとっても、何度バカだアホだと言われたことか。(注:今の関係は良好ですw)
僕は子供のころ、いつも祖母に言ってました。
「父さんは嫌いだ。バカってすぐ言うし、怒るし。僕は悪くないのに、あんな難しい問題ばかりだして、大嫌いだ」
そうすると、どきどき、祖母はこんな話をしていました。
「あらまぁ、そうなのねぇ。でもお父さんを嫌いだなんて言っちゃだめよ。お父さんは、ああいう堅物な人だからうまく言えない人なんだけどね、おばあちゃんの前ではいつもあなたのことを褒めているのだから。"あの子は頭が良い、とても頭が良い"って。"俺が同じ歳だったころより、ずっとずっと頭の回転が速いんだよ、おふくろ”って。"あいつは、俺とはデキがちがうんだ"ってね」
まあ、子供の僕は聞かないんですけどね(笑)そんなのはウソだ。父さんがそんなこと言うわけがない。ばあちゃんは嘘をついてるんだって。「そうねぇ、嘘じゃないんだけど、そうなのかもねぇ」って、いつも流されてたけど。
核家族化が進むこの国において、人間関係の希薄化は大きな問題だと思うのだけども。
父でも母でもない、3人目の大人がそばにいてくれたことが、僕や妹にとってどれだけ救われたことか。しかも、前述の通り父はそんな人だし、母も実はあんまり「普通の人」ではなかった。
そんな環境にあって、「ばあちゃーん!」とすぐ隣にかけこめる大人がいてくれることが、今考えると、とても僕にとっては大きなことだったと思います。祖母がいなければ、今の僕はもう少し違う性格になっていたのではないかな、と思うほどに。
僕の実家では毎年、年始に祖母の子供たち、つまり僕にとって叔父叔母やいとこなどの親戚が集まる日があって。当然、祖母がいる家に集まるのだから、僕の住んでいた実家に、みんなが集まるということでもある。
昼間からおせちを食べお雑煮を食べ、大人たちは酒を飲み、贅沢なフルーツもあったり、年に1度の親戚が集まる大宴会だった。そしてその宴が終われば、当然、いとこたちもみんな帰っていく。でも、僕と妹に限ってはそのまま祖母と一緒にいて、翌日もまたおせちを食べた。だって、そこに住んでいるのだから。
僕らは、親戚の集まりとはいえ、祖母と一緒にみんなを迎える「ホストファミリー」だった。他の孫たちは別れを惜しみながら帰っていく中で、僕と妹だけは、そのまま祖母との時間が続く。やっぱりあれは「祖母」なのだけど「家族」だったのだと思う。だから、祖母には7人の孫がいてみんな可愛かったのだろうけど、きっと僕と妹の二人はそのなかでも少しとくべつな孫だったのだろうと思う。毎日、そばにいたし、祖母の手作り料理も何度も食べたし。
あるとき、祖母に言われたことがある。
「孫達のなかであんたが一番変で、頭が良い子で、面白い」
「あんたはほんとに頭のいい子だねぇ。たくさん孫がいて、それぞれ個性があっておもしろいけど、孫の中で一番頭が良くて、なんか面白いこと言うのはあんただねぇ」
たぶん褒めてくれていたのだと思うのに、「えーなにそれー」としか返さない僕も僕だけど。
祖母が亡くなって、もう4年が経つ。
ゲンキンなもんで、亡くなってからの方が思い出すことが多い。
空を見上げたら、たぶん見てくれている気がして。
僕はね、すごく誤解されがちなんですけど、リアルではほとんど文句とか批判は言わないんですよ。ネット上の僕を見ているとあーだこーだ言ってるので現実世界でも言ってると思われるんだけど、ほとんど言わない。言ってもむだなことはめんどくさいので言いたくないんです。言っても心証が悪くなって損するだけだし。
だからお店にクレームとかほとんどいれないし、職場でも「これは言ってもなおらないな」と思ったら全く言わない(だからいきなり転職すると言い出して会社はいつもびっくりしますw)。
そんな僕がね、数年前のある日のチームミーティングで、あまりに理不尽なことを言われ、僕にすべての責任を押し付けられそうになって。話をしてもレベルが低すぎてウンザリしてしまって。
もうほんとにイライラしてしまって。
でも、そういう理不尽なことがあっても僕は絶対に言わないんです。言っても変わらないことはさ、言うだけ損するから。でもそれが本当に我慢ギリギリのところに来ちゃって。言っても絶対損するだけなのに、直属の上司のさらに上の上司にまでぶちまけてしまおうかと思っちゃって。うーん、これはつらいな、うーんと。
そんなとき、ちょろっとメール見たら、母からのメールが見えて。「お祖母ちゃんが亡くなりました」の文字を見てびっくりして。そりゃもう仕事でイライラしてるとかそんなことふっとびますね。
あのとき、ばあちゃんが、いつになくイライラして人前で感情をぶちまけそうになる僕を見て、最後に諭してくれたのかなって、思いました。
「あんた、らしくないよ。ちょっと落ち着きなさいな」って。
ばあちゃん、元気かな。
いや、ま、天国というものがあるとすれば、あの人は絶対に元気なんですけどね。