カネと世の中

トム
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公開:2024/11/4

ニュースを見ているとカネが無いあるいはカネが欲しいというところに揉め事や事件や戦争のベースがあり、またカネがあるから支配や戦争ができるという状態なのだなと思ったりする。

カネは私たちの生き死にを左右する。カネによって安心して生きられるかそうでないかが決まってくる。

ほんとうにそれでよいのだろうか? 根本的にそれでよいのだろうか? と疑問を投げかけているものを見たこと聞いたことがない。

カネというものがやりとりの手段でしかなく、わたしたちの幸不幸をそれで決めることはダサいという考え方が主流になると、少なくとも今の世の中は(良い方向か悪い方向かは別にして)変わるのかもしれない。

しかし、もしかするとそのムーブメントに乗っかってカネを持った人間がいいように操作するところまでがワンセットなような気がする。

こうやっていつまでもゴールには達せず、そのときの最善とはなにかを考えつづける。人はそれを考えつづけなければならない。そうしないことには最善は見つからないからだ。無駄と言われようと止められようと、今よりも良くしたいのなら考えつづけなければならないだろう。それが次の時代には悪しき考えと捉えられるものだとしても。

それにしても、カネはわかりやすいものさしである。カネに変わってわたしたちの幸不幸を決めるのとはなんだろうか? 徳? 愛? 美?

目で見てすぐにわかるものさしでなければ人は己の幸不幸をとらえることはできないだろうなと思うと、カネというものさしは形状としてのちょうどよさがハンパない。

今必要なものは「目で見えないものを捉える」ことなのかもしれない。それは概念であったり、隣町の事件、別の県の出来事、隣の国の生活、遥か海の向こうの人々を想える思慮深さである。

@tomcat
トムです。自分のあいまいで見通しの悪いこころのために文章を書きます。