見えている世界で努力し尽くしたところで勝てないことに気づいたから頑張ってきたけど

tomio2480
·

最近はずっと仕事で成長の話を整理整頓している.どうやって高いところに着実に上り詰めていくのか,という話をしたんだけれども,ちょうどいろいろ重なったのもあって文字にしてみようかなと思ったのがこれ.

過去,技術系の大会に向けて根詰めて朝から晩まで土日も全部手を動かしていた経験がある.学校を開けてくれていた先生には感謝しきりですね.大事なのは環境なので.強調しておきますが,大事なのは環境ですから.

このときの経験をベースにいろいろ考えた結果,今の活動軸の大部分が出来上がっている.高校生のころからずっと真っ当にこなしてきたつもりで,今も続いていることもあれば,一方で,もう捨ててしまいたいこともあるなぁと,今日のこのタイミングで改めて整理整頓したい.

下から見上げた木の葉から漏れる日光の写真

続いていること,続けたいことは次のとおり.

  • 意識的に新しい環境に身を投じる,新しい環境を作る

  • 説明できなくても,自他の熱量と自分の直感を信じて進む

今まで我慢してやっていて,もう辞めたいことは次のとおり.

  • 一般に認められやすい指標だが,個人的嫌悪感が湧くことも取り組む

  • 信じて取り組んだ結果を,説得のために相手が欲しい別の数字や成果に読み替える

マイナーチェンジしたいこともある.

  • 今見えている範囲を,やりきったと思えるくらい繰り返しこなす

これを,

  • 自分の専門軸とすることに隣接することは,やりきったと思えるくらい繰り返しこなす

くらいにトーンダウンしたいなと思っている.

年を取ってきて,見えている範囲も広がってしまったし,競技でもない人生や仕事において,捨ててよい学習を定義できず,真の無尽蔵学習に巻き込まれてしまうからだ.これは本当に無力感に苛まれて,心が全く追いつかないのに,強気に振る舞わなきゃいけなくなって,本当に詰む.

池の手前に並ぶ白樺の木の画像

これらの続けたいことと辞めたいことができた理由は冒頭でも触れた,技術系大会に取り組んで,優勝できなかったときのことを思い返した結果,こうした軸を持つ必要があると感じたからだ.

第一に,全国大会まで辿り着いて優勝争いに食い込めたのは,少なくとも自分が見えている範囲のことをやりきったことにある.目を瞑っても回路は組めるし,コードはかけるとアホ豪語のボケをかましたときでさえ,1 mm くらい本気でそう思えちゃうくらい手を動かしたことにある.なんやかんや数は自信になる.

次に,新しい環境に身を投じていくことを決めたのも,同じくこの大会に出たときに負けた要因の一番大きなところだ.指導もされてなければ,自分も知らなかったことで負けてしまったことにある.今時代,知らなければ調べればなんでもわかるのはそうだけど,いざや調べることが封じられた競技内ではどうすることもできなかった.これはかなりきつかった.

散り際の桜が一輪だけぶら下がっている枝の写真

だからこそ,見える範囲で努力はし尽くしつつ,どんどん新しい環境に身を投じていって,知らないことを減らしたいという思いが強まった.いくら調べてわかる時代でも,知らなければ調べる機会も得られないし,初めて対峙したときにその存在に気づくこともできないかもしれない.

しかし,年を取るにつれ,このスタンスでやっていくと,情報の洪水に巻き込まれてしまって,身動きが取れなくなることも増えたなと感じる.老いもあるかなと思いつつ,明らかに若い頃よりは見えている範囲やパターンが多くなってしまって,二の足を踏んでみたり,軽率に判断してみたり,知識量と経験量の多さがよくない方向でも作用しているような気がしてきた.

たぶん,浅く広いのが問題なんだと思う.広さに応じた深さを持たないといけないのに,広くなるばかりで深いポイントを作れないでいるような気がする.だからきっと,深さが満足するだけに達したら,また広くする努力をしたくなるんだろうと思う.

初夏の緑の紅葉から漏れる日光の写真

ふりかえると,社会人になって 10 年が経つらしい.学校教諭をはじめとして,技術の学習環境をたくさんの人が満喫できるよう,自分には何ができるかを考え続けた 10 年だった.もっと言えば,大学生のころから IT コミュニティの運営をやっているため,技術と人の流通を意識した活動を続けて 10 年以上が経っている.

ずっとこればっかりやってきたので趣味らしい趣味や,生活らしい生活がない.といいつつ,技術コミュニティをめちゃくちゃ駆け巡ることが趣味で生活じゃないか!!!!!と言われたらそうだねという感じでもある.

といいつつ実は,いつまでこれを維持できるんだろう?とか,若い人が増えてきて自分の居場所はここに残るんだろうか?という気持ちとの戦いの時間が増えてきた.歳や経験量に相応しい場所をきちんと見つけて,そこでパッションを発揮するのが一番いい.今はそれが一致している(と勝手に思っている)ので問題ないけれど,いつ何時その時が来るかわからないのは恐ろしい.

まぁこれはこれで,無限残業が存在しない職場に所属してしまうと困ることがわかってよかったのかもしれない.とはいえ,がむしゃらにやってきたから助かっているとは思う.先のことを考えられるだけの余裕を作るために力を抜いてやっていたら,今の立場にはいられなかったはずだ.管を巻いてもしょうもない "でもしか" でしかないけれども.

青空の下で淡い色のライラックが咲き乱れている様子

ここで中途半端にぐだぐだし出すと,今まで磨いてきた尖りに綻びが出るだろうから,結局は走り続けることになるんだろうなぁという感じがする.他のやり方を知らないし.模索しろよという話もあるけど.

自分の魅力はアホ熱量と謎直感を信じてやり続けることにあるのかなと,なんとなくいろんな人と知り合う中で,ぼんやりと自覚が芽生えてきた.しかし,残念なことに自分が理解できていない他者の要求には,熱量と継続力を発揮できないこともわかってきた.

振り返ると,ぼくをプロデュースしたかった(と思われる)人たちとは,ほとほとうまくいかなかった.下手なマネジメントというか,コントロールに敏感というか,下手な小細工してねぇでお前の魂ぶつけろよ!!!!体ぶっ壊れてもやんだろ!!!!!俺いなくてもやれや!!!!!の気持ちを我慢できない性分なのかなという理解が進んでいる.チンピラもいいところである.

藤棚のトンネルを人々が行き交う様子

新しい技術コミュニティに足を運びたいのも,こういう姿勢が体を動かすからなんだろうな.自分は今でもちゃんと技術をやる人でいたいなと思いつつ,行動が伴っていなくって,コミュニティからすると迷惑かもしれないけど,それでも貢献できることを見つけて貢献したい気持ちがある.

結局よく言われていた,インターネットコンテンツが全ての学習を置き換える未来が来なかったことは,2024 年の世の中が証明してしまったと感じている.新しい情報に触れ,初めて触る技術で手を動かして,自分の今を考える,という流れが人を次のステージに連れていくと信じていて,これを体感できる環境を日本のどこでも満喫できる未来が見てみたい.

この本当にずっと昔から言っていることが,今も変わらない目標であり続けている.これは,自分を引き上げてくれた旭川や北見の技術コミュニティへの感謝の気持ちが色濃く反映されている思想だ.

朱色のツツジが咲く下にセイヨウタンポポが咲く様子

ひとつ注意したいのは,この情報と人の流通と成長を後押しする環境づくりというのは,何もストイックな修行環境の高みばかりを目指しているわけではない.こういった純真無垢な前向きの光に晒されて,心が折れてしまう人を減らすための仕組みや気遣いも含みおきたい.過去,ふたつめに所属した組織で与えられた役割の一つでもあった.

趣味的な草の根のコミュニティにマッチョ思想を持ち込むわけにはいかない.マッチョ思想に着いて来られた人にしか微笑まない領域なんてのは,いずれ滅びゆく運命で碌なもんではない.

ちなみに,自分個人としては仕事だとしてもマッチョ思想を持ち込んでいいことはないと考えている.廃人を生み出してまで,強い IT エンジニアを作って何がしたいのかという疑問がある.

何様なんだ.

他人の人生でお前の思想を実験するな.

そして,他人の欲望を自分の人生で満たしてはいけないことを,忘れないでおきたい.

草原と数本の木の前にある池を眺められる位置にベンチが置かれている様子

@tomio2480
tomio2480 です