炙りマヨサーモン食べたい。
たまにこういうことだけ言って終わろうかと思うことがあるんだけど、最後に「感想ください」を書くという規則性のおかげでなんとか書く気を出している。
今月の目標として「小説を二本賞に出す」「Skebを四件書く」というのを掲げていたのに、なんと一つも達成できていない。かなりビビる。するがデビル。
仕方ないので賞に出す小説を書き始めた。通る気が全くしない題材だけど、気楽にやろう。イージー。ワルイージ。
あ〜〜、ダメかも。小説のほうに頭つかっちゃってて、リソースないな。
短編小説のちゃんと賞金出るような賞をどっかでとったあと、長編をガチりたいなとおもっている。賞とりまくってlain買って、大学のブラウン管テレビでやるぞ。でも30万円ホンマにほしいね。
なんとなーく確実に1000文字くらいは超えているであろう、というタイミングで、これはアップしてる。まだ1000文字いってない気がする。まだ投稿できない。
文字数にこだわるのってどのくらい本質的なことなんだろう。それなりに速筆家であることを誇りに思っているし、自分の扱う内容とも親和性が高いと考えているけれども、語弊をおそれずに言えば、速筆であることはちょっと目をつけられやすい。サークルとかでも「おれはそんなに書けないし面白いものも出せないから……」と距離を取られることが多く、僕はそのたびに謙遜して、ちょっとセーブしながら振る舞っている。これは勉強が得意だった頃の僕のクラス内ムーブに似ている。
本当は卑屈にならずに自分の書きたいものに自信と誇りを持ってほしい。でも、それができる側の理屈、生存バイアスであることもある程度は理解している。本当はサークルの活動内で2万字書けるまで帰れない会とか、短編の執筆マラソンとか、そういうのをやってみたかった。でも現実では字下げや感嘆符のあとの空白すらままならないことだってある。馴れ合いは元々好きじゃないけど、そもそも僕には自分の満足できる範囲でそれができないんじゃないかと思う。どのくらい技術があるかという意味ではなく、どのくらい真剣であるかという意味で。本当はみんなが言う創作ってうちのこカワユス的なノリでやるものなんだと思う。
反対に僕はそれができないというか、どうしても枠にハマったものばかりになる。キャラクターは「その作品のこういう役割のキャラクター」として完結してしまって、物語の外に出ることが少ない。
話逸れたけど「たくさん書ける」というのは「すぐ物語が完成する」という意味でもあって、しかも僕の場合は「時間をかけて物語を書くことが滅多にできない(やる気が続かない)」という特性もあるのだ。となると、それはそれで、少しつまらない、ぞっとしない気分にはなる。物語を書いている最中のドキドキってやつがない。
書きたいこと書いて、それでおしまい。隣にいてくれる人もいなければ、一緒にがんばっている人もいてくれない。周りに公募勢を見かけない。いても専業主婦の趣味の延長か、まだ出したことないけどいつか出したいって人。そうじゃなかった人は最近就活が忙しくなって身を引いた。そもそもそっちの分野は短歌。
具体的には、早いときで1時間に4000字書ける。この文章だって1800字くらいあるけど、お風呂の湯船に浸かってる間に書いた。公募勢を50人くらい集めれば2〜5人くらい見つかる数字かなと思うけど、少なくとも僕の周りにはいない。たまに、キーボードを叩くことがむなしくなる。もちろんワナビとして圧倒的に恵まれている特性だから、ヘラったりすることはないし、趣味勢や未完勢や就活マンが悪いとも全く思わないんだけど、早く芽を出したいなという気持ちはある。ひとりで燻ってるだけだとつまらない。早くもっと見つかりたい、っていうのが本音なのかもしれない。ちなみにメカニズムを説明するとADHDの「脳みそが多動である」という特性によるものである。
(追記:よく考えたらべつに普通に公募勢いました。ごめん)
「特に一人称視点の小説だと主人公が誰かに向かって語りかけるような文体になる(そうでなくとも、「この主人公は起きたことをわざわざ文章の形に起こしている」という認識は生まれる)ので、何が言いたいのかわからない内容だとモヤモヤすることは多いかもしれない」、って仮説を思いついた。物語っていうのは語りであり、ゆえにオチやテーマ、「どう思ってほしくてこの話を語っているのか」っていう得心は必要なのかなって思っている。それを読者が完璧に理解できる必要はないけれど。
書き忘れるところだった。感想ください11。