感想ください8

tomiya829
·

 書きたいことない。

 サークルの部室でずっとPS2やってた。

 三日間くれればジャンピングフラッシュで日本人1位になる。

 三日間くれ。感想ください8。

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 さすがにもうちょっとなんか書くか。

 今日は一限の時間に起きたあと、授業に出るのが怖くてまねきねこの朝うた行ってた。喉の調子がよかったので歌い、少し枯れる。以前は喉を開く感覚すら知らないままボソボソやってたから、枯れること自体がなかった。ひとりで2時間半つぶせる今はロキのがなりで喉をつぶせる。

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 べつにこれ日記書きたくて書いてるんじゃないな。よく考えたら。別の話するか。

 Xとかいうダセェ名前のアプリでは「にゃるらは既存のオタクカルチャーを再利用しているだけで、クリエイティビティがない」という意見が定期的にバズる。そういう側面が全くないとは思わないけど、僕は基本的にはこれに反対している。

 ニディガがやろうとしているのは、あくまで「人気者が自分の好きなコンテンツをこねて遊んでいるのを見て楽しむインターネットノリ」であると思う。ニコ動のMAD社会や、ネットミームをこねくり回す配信文化・Twitter文化に近い。ただしその「人気者」の枠が主人公の超てんちゃんになっていて、しかも「超てんちゃんの好きなもの≒にゃるらさんの好きなもの」なので、傍から見ると「にゃるらが天狗になって自分の好きなもので遊んでいる」というように映ってしまう、という構造だ。

 実際、褒められたものではないんだろうと思う。でもこれを糾弾するには、まず先にニコ動・配信・SNSの文化の一部に見られるサンプリングの風習が本当に見過ごされるべきなのか、そしてそれらはニディガがコンテンツとして展開しているそれとどのくらい違っているのか、これを特定しなければいけない。とりあえず自分は、あれはある程度は作品としての(キャラクターとしての)正当性にしたがって展開されている表現手法のひとつだと思う。

 切り離して、ニディガ自体の話をすると、あの作品は僕にとって不思議だ。めっちゃ好きってわけでは全然ないと思う。でも最後に見られる要素はすごくおもしろかったし、めんどくさい性格の美少女キャラクターを現代に刺すための手法としてかなりよく練られていたと思う。あの作品はとてもよくできていたので、ツギハギコンテンツとして悪く言われているのを見ると悲しいというか、「それは解釈が浅いんじゃないでしょうか……」くらいに思う。オタク君顔真っ赤、みたいだな。

 ただ超てんちゃんのことはべつにそんな好きじゃない。あめちゃんのことが好き。

 色々フクザツなのだ。言うことが逆転するようだけれど、僕は昔の真面目な作品が現代的な文脈に回収されて、手軽な消費社会の中に組み込まれてしまうという現象自体は、歓迎していない。

 あらゆる誤解を無視して書いてしまえば、僕は超てんちゃんが昔の名作をちゃんと理解したうえで話してくれるようなキャラじゃなさそうであるって点が、フクザツなんだと思う。(おそらくある程度は意図的に)ニディガのコンテンツ描写ってどこかファッション的なんだよな。配信で「○○だと何が好き?」「○○かな!」「わかってるオタクで草」って受け答えが成立するような感じ。意図的にやっていて作品のフレーバーになってるからそれでいいとも思ってる(なんなら一種の皮肉ですらあると邪推できる)んだけど、一方で超てんちゃんといういち個人のことはどうしても好きになれないとこがあるなー、と思う。代わりに、そういう浅い部分に頼りでもしないと承認欲求を満たせないせいでずっと孤独に戦っている少女のことは、かなり好きなのだ。

 僕は超てんちゃんの配信で玲音が出てきたのは嬉しかったんだけど、『好き?好き?大好き?』復刊の装丁が美少女絵で解説がにゃるらさんなのを見たときは、元々してた予約をキャンセルするくらい嫌だったんですよ。それはたぶん、前者は当時のゲーム作ってた新しいこと好きのおじさんたちが楽しくやってるなぁって感じだったのに対し、後者は「さすがにファッションだろ」と思ったからだと思う。

 いまXじゃ、でじことか玲音とか初音ミクの意味深な雰囲気のイラストが飽和している。もちろん僕もでじことか玲音とか初音ミクのイラストを見られたら嬉しいからいいねこそするんだけど、この情勢自体はどこかで変わらなければいけないと思う。考えるに、20年代は「うっすら美少女とかいうものに対する憧れこそあるが、具体的にどんな子が『美少女』なのか誰も教えてくれない時代」だ。

 結果として「みんなに愛されているすごい子だから」と、「間違いのない美少女」として件の三者が持ち上げられる。これは、とてもひどい状況だ。絵師側を批判するつもりはなく、完全にテキスト側の責任だと思う。もっと美少女キャラクターに真剣にならなければいけない。少なくとも「ゲームのヒロイン」としての美少女キャラクターと「何かの製品のマスコット」としての美少女キャラクターと「物語の女主人公」としての美少女キャラクターを区別することくらいは、まじめにやっておいたほうがいいんじゃないか。

 過去に似たようなしぐさをしていた気がするので大きな声じゃ言えないが、それでもやっぱり、原則的には実際のストーリーすら追ってない(追う気がない)のに大人がつくるパロディやサンプリングだけで満足して「美少女キャラクターがどうこう」と語りだしちゃうのは、単に青さでしかないし、大爆笑だぜって感じだ。ネットでメシの写真だけ見てそのメシを食った気にならないで。

 「美少女ゲーム全体のなんとなくのイメージ」が三大電波ゲー、ゆずソフト、電波ソングのついたふぃぎゅ@みたいなコミカルなゲームの「アングラ、青春、オタクノリ」って三つに大別されてしまっていて、いまの消費者って(もうはっきり言ってしまえば、当時のオタクよろしくシコるためでもないのに)自分でプレイしに行くほどの熱量はねーから、知らないゲームがあっても、パケ絵に「お、これは文学タイプのエロゲかな?」とイメージを被せるだけで満足しちゃえるんですよね。でもそれって何ら本質に迫っていない、かなり薄ら寒い行為だと思ってて。「名作」とか「怪作」とかいうレビューはあくまで興味を持つための入口でしかなく、本当は他人の評価なんてどうでもいいはずなんです。

 この「アングラ、青春、オタクノリ」って、まんま玲音、初音ミク、でじこの懐古インターネット三傑にも通じていて、現代のオタクたちは彼女たちに「ゼロ年代の美少女文化」のイメージを被せながら消費してるだけなんですよね。現代で起こっているのはエロゲブームでもなんでもなくて、こういった空虚なイメージのメンコ遊びでしかないんですよ。それこそがむしろ本当に美少女文化、というか「美少女との関係性によって感動する文化」にトドメを刺しうると思う。

 でももう、もはや僕あたりも含めて「『美少女文化』というよくわからないものへの憧憬」を適当な美少女のガワに押しつける行為が気持ちよくなってるフェーズだから、今後ちゃんと「ヒロインと関係性を構築して、真剣に向き合い、交際まで至る」という形式でのオリジン的美少女で、(それこそ超てんちゃんクラスに)センセーショナルなものが出てこなければ、この文化はマジで死ぬと思う。

 いいんですよね、なんでも。べつにエロゲじゃなくてもいいんですよ。それって形式的なことじゃないですか。お前らは本当にエロシーンが見たくてそのヒロインと付き合ってたのか? 嘘だね。ctrlキー押しっぱで飛ばしてたくせに。

 べつに、ペルソナの彼女が可愛くてそのことしか考えられないとか、ラノベの女の子に恋しちゃったとか、そういうのでいいのにな。仮にそれじゃ満足できないんだとしたら、むしろそこがスタートラインじゃないですか。いまやるべきなのは「美少女のイデアを適当なガワに押しつける再生産」じゃなくて、目の前の女の子一人一人に真剣になることなんですよ。それができずに斜陽産業とかなんとか理屈をこねて「『萌え』の衰退だ!」とか言ってるうちは偽物だね。

 そういった視点から『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』を批評する記事を書いていたんだけど、長すぎて、めんどくさくてまだ書き終わっていない。感想ください8。

 

@tomiya829
外道