感想ください1

tomiya829
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 生きるために書くのがいやになってきたので(スケブとかはいいんですけど)、ブログっぽいことをやりたいなと思った。自分のための文章を増やそうと思って紙の日記を書いていたけれど続かず、やるものがいっぱいあった方が楽なのかなってなった。

 昼に外に出て本を読んだあと夜に友人と酒を飲み、カラオケで2時半まで歌ったあと4時半に帰宅して就寝。そのあと10時に起きて大学に行ったあと泊まって遊び、夜に帰ったのが昨日。さすがに疲れたようで、今日は10時間寝たうえ20分寝落ちした。一人は一人で落ち着く。

 昨日の夜、脳が完全に物語シリーズになり、おうぎフォーミュラを見ていた。素晴らしいアニメだ。本当に。中高生の頃に感じていたあの教室のくだらない閉塞感が、完璧にそこにある。学級会。正解のない世界。数学。

 高校一年の頃、僕は模試で学年一位だった。なんの努力もしていなかったので順当に落ちぶれていったが、「頭がいい」というイメージだけ周りに浸透したようで、なんとなくクラスで尊敬という名の壁を作られていた。2年生になってから知らんやつに、「○○って学年で5位以内だったんでしょ??」と聞かれたことだってある。誰にも自慢しなかったのでどう広まったのかわからないが、1位なので、その噂は間違いだった。いま思えば、あのとき僕は、へんなプライドを持っているやつに注目されたりなんかしていたのだろう。

 そんな自分がずっとうすら寒かった。周りから向けられる「こいつにはおれの気持ちはわからないだろう」「生きてる世界が違う」という視線に敏感で、わざと不真面目に、わざと怠惰に生きた。仲間に入れてほしかった。結局あれは僕が周りに向ける視線の鏡写しだったんだろう。

 中学生の受験期の頃、数学は、そこそこ好きだった。図形の問題はずっと苦手なままだったが、因数分解とか二次関数とかいった問題は手を動かしておくだけでよく、しかも速さが重要だというものだから、自分が速くプリントを解決するたび、嬉しかった。教室で誰よりも早くプリントを解決したあと、注目されたくないので、新しいプリントをもらいに行くのを少し待った。あるいは僕より頭のいい生徒が僕より先にプリントをもらいに行ったのを見て、少し悔しくなった。テストで学年上位に入るのが嬉しかった。豊島学院の面談に行ったとき、内申点じゃひとつの併願も受けられなくて鼻で笑われたのに、模試の偏差値を見せてスーパー特進の併願を受けられることになった。気持ちよかった。

 僕はADHDがたたってあらゆる場所に居場所性を感じないが、あえて言えば、勉強という空間は一種の居場所だったんだろうと思う。点さえ取れば、足の速いサッカー部やイケメンの野球部と同じくらい、そこにいていい人間になれた。僕はそんな階位主義を嫌っているような顔をしながら、その甘い汁ばかりをすすって学生生活を送っていたんだろうと思う。

 周りのみんなとふつうに話せる空間を志向して、偏差値の高い大学に行くことに拘った時期もあったが、普通に落ちまくったのでそれはボツになった。即効性の思考力に頼りすぎて、自分で努力をすることを知らなかった。やがて自分の実力なんてものに何の価値も感じなくなり、いまの大学では、なんの努力もしていない。授業にもほぼ出ていない。オンライン講義の科目ですら、開始時間を忘れるせいで出られなかったりする。期末の時期になるとたまにレポートを出して、FからSまでの色んな評価をいただく。学習がレートゲームだった頃の感覚を取り戻したい。ひとりぼっちじゃ誰とも競えない。感想たくさんほしい。

@tomiya829
外道