こういうかっこいい本があるんだけど、なかなか売れない。
ブルースカイを見ているとなんかみんなまじめなポストばかりしていてビビる。Xでまじめなこと書いてブルースカイで楽しくおちゃらけてる僕とは、真逆だ。たまにネットに作品あげて、創作論なんかをつぶやいてお茶を濁していたら、もしかしたらそれなりにウケるんだろうか。
ネットで創作論がバズるのは、基本的にはおかしい。全員がその人の作品を読んでいるわけじゃないから。「創作をやっている人間はすごい」というなんかよくわからん偏見を利用して、ろくにものを書かずに創作論ばかりつぶやき、適当なバズでお茶を濁している人は多い。いや、もはや創作論じゃなくて「創作あるある」だったりすることもある。「書けない」人間はいつかすごいものを書くまでに至る可能性があるからゆっくり見守りたいけれど、「書かない」人間は嫌いだなと思う。
なんか逸れたな。こういうことが言いたいわけじゃないんですよ。
打算と構成を綿密に計算して作品に向き合うタイプじゃなく、思いついた書きたいものから積み重ねる要素を逆算して、文脈を構築している。「その作品が何のための作品なのか」という軸を成立させるための補修作業に尺を割いている。思いつきが全部だと言われても仕方ない執筆スタイルだから、うまいこと創作論の話題には乗れない。すでに書いたもののことならいくらでも喋れるのだけど。
インターネットのいろんな論戦がほとほといやになってきた。パルワールドもニディガも燃え方がめんどくさくて、みんな自分が正しくなるために理由を探している。そういうのは論理をこねるだけのお遊びで、本当に思っていることではない。かりそめの法律意識でみんなが怒っているポーズを続けていて、辞書と辞書が喋ってるみたいだ。AI絵問題とかそういうのを論じている人ほど人間らしい人間ではない傾向。
そろそろテレキャス持った学生をシバく頃なのかもしれないと思っている。インターネットとかサブカルチャーとかに多くの人の志向性が介入しすぎた結果、カオスは失われて、「こうあるべき」という全体的な法律意識(モラル)が生まれているような気がする。何か問題があるたびに、より法律意識の高い発言をできた人が勝つジャンケン大会が行われている。そういうのから一抜けして、自分の生活をして、周りからどう思われているかいまいちわからないものに熱中する、ある意味で外道のような、『脱法ロック』とか『カルチャ』みたいな意識を持つ必要があるんじゃないかなと思った。
そういうことを考えながらまとめた小説の同人誌を売っているページがこちらになります。
インモラルってジャンルとはまた違って、イズノットモラルというか。人を不快にさせるような過度な露悪じゃない、テレキャス持った学生をシバくようなちょっとした外道感、卑屈さと自負から来るザコ狩りの圧倒感、そういう外道ノリが、いまの自分が考えていくべきテーマなのかなって気がしている。あるいは『人マニア』もそういう曲だね。冠婚葬祭蹴りたい。
「モラル無視の2024年」を、やろう。
少なくともよくわからんモラル合戦からはさっさと降りてみたいんだけど、自分のSNS浸かりの生活上それはかなり大きな力で踏み込まないと難しいっぽいから、どうやってそれを表現していこうか悩んでる。書いてく中でいろいろ試してみよう。感想ください10。