オープンワールドなゲームを楽しむ

トモヒロツジ
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公開:2025/5/2

どうも。先日、Oblivionのリマスターが電撃発表&当日リリースされて戦慄した辻です。

Oblivionというのは、オープンワールドゲーム屈指の名作と僕の中で名高いSkyrim(The Elder Scrolls 5)の前作に当たるゲームで、発売は20年前というもはや古典作品です。これらとFallOutシリーズという二大オープンワールド巨頭を抱えるベセスダ、最近は宇宙にも手を出してるし、FallOutも待ってるファン多いし、エルダースクロールズの新作6はいつになるのだろうか、というタイミングで4であるOblivionがリマスターされて出るという。僕はSkyrimから入ってまだOblivionはプレイしてなかったのでこれを機に買おうかと思ってたのですが、まだモンハンワイルズが終わってないんだよなと思い手が出せていない。

「圧倒的自由度」の代名詞的にいまや使われているオープンワールドという技法ですが、その自由さをプレイヤーに与えてくれる一方で、最近は大きなタイトルのゲームでは半ばオープンワールドが義務化しているきらいもあり、目的だったはずのオープンワールドが手段になって逆にゲームが画一化してるなぁ、なんてことを思ったりもします。それゆえに、最近はインディーデベロッパーの小粒ながらピリリとスパイスの効いたようなタイトルが流行ってるというのもあるかもですね。

また、オープンワールド化が進んでゲーム自体の自由度が上がった結果、正統派の一本道RPGみたいなものがだんだん受け入れられなくなってきてるのかな、とかも思ったりします。

オープンワールドが義務化している

FFの現状最新作の16、僕はかなり良いゲーム体験だったなと思うんですが、あんまり評判はよくない印象です。僕はFFシリーズはクライシスコア、零式、13、そして16という、ほぼほぼ王道に触れていない変なタッチの仕方をしている人間なので、あまりコアファン的な意見を述べられるわけではないんですが、一本道ゆえのよさみたいなものはあると思ってて、ぐいぐいとストーリーに牽引されてゲーム体験が動いていくような感覚とか、それはそれでよいものだなとは思いますが。

FFシリーズのナンバリングって、そこそこ挑戦はしつつもあんまり根本の思想は変わってないなと思ってて、あくまでもストーリーを見せるんだぜ、という思想は16でもちゃんとなされていたようには思いました。FF16も実質オープンワールドに近いゲーム性だとは思うんですが、オープンワールドを期待すると、別にマップ探索してレアなアイテムとかめちゃ強いボスがいるとかそういったコアさはあまりなかったように思うし、それに付随する全体的なやりごたえが物足りなかったのは事実ではあるので、それを求めているユーザーには刺さらないというのもそうなのかもですけどね。

そもそもFFってオープンワールドとあんまりマッチしてなくない?と感じることもあるし、これはなんか義務オープンワールドのあおりを受けたような感じがしますね。

そういう話で行くと、ニーアシリーズの現状最新作NieR: Automataもそんな感じでした。これもFFと似てて、とにかくストーリーが強くてそれを体験させるのがコアではあるはずなので、なんとなくなオープンワールド性はあんまりいらないように感じちゃいますね。

オープンワールドって、マップ自体が広大でそこを探索できるのが楽しい、というのが根っこの体験だと思ってて、それとストーリーへの没入の両立って難しいことだなと思わされます。「マップ」と「ストーリー」ってどちらかに集中するとどちらかがユーザーの意識から離れていくように思うんですよね。

ニーアシリーズは、そもそも戦闘が突然シューティングになったり、横スクロールになったり、チャレンジングなゲーム性も大事なフックなので、そうやって視点を制限するものとオープンワールド自体が相反しているような感じもしました。とはいえ、ニーアオートマタは、PS4史上もっともよいゲームだと思っている、ということは申し添えておきます。まだネタバレを見ずにやろうか迷っている幸運な人が居たらぜひ勧めたい。あと音楽もめちゃくちゃよい。さすがMONACA。

マップギミックの楽しさ

オープンワールドのいいところって、やはり360度見回せるところでしょうか。街歩きが楽しい、というのはオープンワールドが好きなコアファンからよく聞く感想だなと思います。とはいえゲームではあるので、そんな自由に歩き回れるマップの中でちゃんとゲーム的な体験ができるのも大事だなと思ったりします。

例えば、Ghostwire: Tokyoとかは、マップと探索ギミックをうまく噛み合わせてるなと思った作品です。このゲーム、あまり建物の中に入れることがないのがちょっと物足りなくはあるのですが、入れる建物はちゃんと収集アイテムを配置したダンジョンになっていたり、町中に飛んでるカラス天狗を使って立体的な探索ができたり、マップを徘徊している妖怪を収集したりと、ゲーム的なギミックとマップの接続に必然性があって没入感がありました。

ホグワーツレガシーもまさにそんな感じで、世界観ありきの謎解きがうまくマップと溶け込んでてすごいなと。僕はIPある系のゲームあんまりやらないんですけど、ホグワーツレガシーは小学校の時熱心に読んでたあの世界観の中を歩ける!という楽しさがあったのはよかったですね。オープンワールドとIP系のタイトルとは相性がいいということなんでしょう。キャラデザに全くときめかなくて途中でやめちゃったんですが。

マップにギミックを溶け込ませた例として忘れちゃいけないのはやはりアサシンクリードシリーズかも。2でフィレンツェを歩きながら暗殺仕事をこなしたり、テンプル騎士団の忍耐(※オンラインゲーム、メイプルストーリーの理不尽な難易度のアスレチックは、そのつらさから忍耐と呼ばれていた)みたいなダンジョンとかはちゃんとこの街を歩ける世界の延長線上のアクションという感じがあってとてもときめいた記憶があります。

オープンワールドとおつかいは相性が悪い?

ゲームのフレーバーを盛り上げてくれるサブクエストたち。ただ、ストーリーに偏重したゲームほど、サブクエストにゲーム性が強くないので、おつかいするだけのものになりがち、というのがあると思います。まぁ、僕個人としてはそのお使いの中でゲームの背景ストーリーみたいなフレーバーを感じられればいいので、それ自体はそんなに苦痛じゃないんですが、オープンワールドでそういったことをやらされるときついなと思うことは多いですね。せっかくマップを自由に歩けるのに、おつかいのためにファストトラベルするだけ、みたいな感じになることが多々あるからです。これはニーアレプリカントですごく感じました。ファストトラベルないのにおつかいのために何も起きないマップをただ走らされるのかい、と。

ただ、それすらゲームシステムに組み込んじゃえばよかったんだな、と気づかされたある作品がありました。DEATH STRANDINGです。これは、荒廃したアメリカを主人公がいろんな荷物を届ける郵便やさんとして東奔西走する(かなり牧歌的な言い方)ゲームで、まさに、おつかいゲーなんですが、そもそものゲームシステムの核をおつかいにおいて、それを自分の足で歩かせることにゲーム性を持たせているというすごい作品でした。

受け取った荷物はサイズや重さ、壊れやすさなどいろいろなランダム性があり、それをいかに早く、状態よく届けるかで配達が評価される。そしておつかいをより円滑にしていくために、道路を敷いたり橋をかけたりなどインフラ整備までさせてしまう恐るべきゲームです。ストーリーの根幹自体がおつかいゲームに根差して語られるので、楽せずちゃんと届けよう、と思えるし、ちゃんとゲームとしても楽しい。こんなことを成立させられるのかと素直に驚いた作品でした。さすがボクらの太陽でゲーム少年たちを太陽のもとに引っ張り出した小島秀夫。

ソシャゲとオープンワールドの出会い

今までいろんなタイトルをつまみぐいしてる感じで話してきた僕ですが、古参を名乗れるゲームがあります。それが「原神」。リリース初日からやってるので古参と言っていいでしょう。このゲームはいわゆるソシャゲで、毎シーズン新しいキャラクターがリリースされ、ガチャを引いて新キャラを獲得するというシステムです。ソシャゲとオープンワールドが出会うと何がすごいと思います?自分の好きなキャラクターで世界を旅できるんですよ。僕が原神を続けている理由はほぼほぼこれだといってもいい。

もう一つ、原神がオープンワールドを大切にしてるんだなと思うのは、段階的にゲームが拡張されること。ストーリーが進むにつれて未知のマップが次々追加され、新しい国が追加されればゲーム体験自体も変わる(もともと水には潜れないゲームだったのに、ある国では海中を泳げるようになってマジですごいなと思った)みたいな感じで、マップ探索にもちゃんと楽しさの重心を置いてつくられてる感じがあってすごい。ストーリー語りたいなら、そこってあんまり本質ではないはずなので、ちゃんと両輪のバランスを見ているってことなんだと思う。

こう書くと、オープンワールドでやってるキャラゲーなのかな?と思うかもですが、ストーリーが相当奥深いというのも伝えておきたい点です。メインシナリオと別のマップごとの個別シナリオが異常に作りこまれてて、全体を通して「原神」という神話を形成しようという気概に満ちている。多くのプレイヤーがそもそも気づかないようなマップ内のメモとかに根幹にかかわるストーリーの示唆があったりなど、オープンワールドゆえの、気づいた人へのご褒美的な要素も多々ちりばめられており、なかなかすさまじいゲームです。

純粋に質のいいオープンワールドについて

最後に、いろいろ僕がプレイした中で純粋にすごいな、と思った正統派オープンワールドゲームをいくつか挙げておこうと思います。

1. Skyrim

冒頭に挙げましたが、今までプレイした中で断トツで上質なオープンワールドだなといまだに思います。ハイファンタジーの世界観のマップを歩くだけで、いろんな出来事が起こり、歩いても歩いても新しいダンジョンが見つかり、ある程度大きいダンジョンにはそれにまつわるしっかりとしたクエストがある。そもそもマップが広すぎて歩ききれない。多分リリースから5年かけて拡張した原神の数倍広い気がする。

マップにちりばめられた情報量が膨大で、雄弁に世界観を語ってくれるし、考察したくなるような断片的な小ネタも多い。

小ネタが多すぎて、リリースから10年以上経ってるいまでも現行でSkyrimの小ネタを収集しているYouTubeチャンネルがある。これすごく上質なのでぜひ見たほうが良い。

なによりも、オープンワールドにおける自由度そのものみたいなゲーム性で、どの勢力に着くか、どの選択肢を取るか、あるいは気まぐれにどのNPCを殺しちゃうかで、メインストーリーもサブストーリーもドラスティックに展開が変化していく。シナリオの緻密さと、それをオープンワールドの中で実践していくための作りこみがとにかくすごい。これに没頭できたのは大学生当時暇を持て余していてよかったことの一つ。

2. CyberPunk 2077

これは割と最近のゲームですよね。近未来でゲットーな街、ナイトシティを舞台に、主人公がナイトシティの伝説になる道のりを描くゲームで、高層ビル立ち並ぶサイバーパンクシティというとても情報量が多い世界観を完璧にオープンワールドとして構築している、本当に非の打ち所がない作品だと思います。ギャングの勢力図ごとに雰囲気が大きく変わる街並みや、その各地のカルチャーに根差したたくさんのサイドクエストも、ただ数があるだけじゃなくて、その中にストーリーの多様性があってすごい。

とあるクエストで、探索中に部屋の中のパソコンを開いて、ウェブサイトの隠しリンクを見つけて謎解きをする、という作りこみがあった時はここまでやるのかと思ったし、結構な数の建物の中に入れる(し、複数階にエレベーターが止まる、別に何もないのに!)のも脱帽。一つの街というクローズなオープンワールドを単調にさせないために、縦の立体構造に力を入れた、立体的なオープンワールドでとてもよいです。Skyrimで完成されたと思ってた正統派オープンワールドをこう超えてくるのか、という新鮮な驚きがありました。

3. ELDEN RING

これをオープンワールドゲームとして位置付けてよいのか(手段としてのオープンワールドなので)悩むのですが、やはり挙げざるを得ないですね。死にゲーといえば、というところまで確固たる地位をデモンズソウル以降で気づきあげたフロムソフトウェアが満を持してオープンワールドの新作を送り出す、という話を聞いたときは、死にゲーとオープンワールドって相性いいのか心配だったのですが、いざふたを開けてみたら申し分なく成立してて唸りました。

フロムというメーカーの小憎いところは、”ちゃんと”プレイしてないとそもそもたどり着けないマップやボスが複数あって、プレイヤーの信心を試してくるところにあるんですが、今回オープンワールドという広大なマップの中でもそれをやってのけててすさまじいなと思いました。僕はデモンズソウルからずっとフロムの死にゲーファンなのでこういった仕上がりがうれしくて、周回前なのに200時間このゲームに費やしています。攻略サイトとか経験値稼ぎとか、そういう近道をとにかく突き放してマップをさまよう楽しさと、死にゲー特有の緊張感。

地図を見るにここには何かあるはず、というところにちゃんと何かあったり、あの崖に建物があるからどこかから行けるはず、という場所にちゃんといけたり、手段ながらも義務オープンワールドになっていない作りこみをしている好例だと思います。

こんな感じで、もはやオープンワールドって加点要素ではなくなるくらい普遍的になりつつあるシステムですが、その活かし方、殺し方はあるよなぁと思っていたことを書いた回でした。

オープン~👋(さよならのオープンワールド版)

@tomo_at
in-factoにて短編ホラーを制作。音楽、漫画、植物が好きなWebディレクター