会社の人が「嫌なことかあ、寝たら忘れちゃうからなあ」と言っていた。
でもわたしは知っている。その人が嫌なことがあると鍵のかかったSNSでその思いをぶちまけていたり、会社の少人数のチャンネルで愚痴をたくさん書いていたりすることを。なので、当の本人がそう言っているのを知って、ちょっと面食らっている。
とはいえ、「寝たら忘れている」のほうが嘘で、そこまで関係性がない人を心配させないためのフェイクかもしれない。
いやでも、と思い出した前職の寝たら忘れるパターンの人も同じで、自分の感情に正直に怒りをぶつけた翌日にはケロリとしていた。周りでその様子を見て場を収めようとするこちらの方がやきもきしたものだった。
もしかしてなのだけど、寝たら忘れると話す人たちは本当に寝たら忘れているのかもしれない。もちろんフェイクの人もいるとは思う。でも、もしかしたら一定数は感情を発散して寝たら本当に消化できているのかもしれない。
なにそれ、うらやましい。
わたしは、というと怒りなどのネガティブな感情はたいてい自分の中に沈殿させてなかったことのようにしているけれど、ドロドロとしたものが底のほうでいつまでも存在している。ふとしたときに思い出してはドロドロの感情に飲み込まれることを繰り返しながら、どうにか人間の形を保たせて生活している感じだ。
寝たら忘れる人と自分を比べても、ネガティブな感情は発散させないと溜まるだけなんだろうとは気づいている。わかってはいても、感情を発散させる方法を知らないわたしは自分の中に感情を溜めてしまう毎日。発散させても、後で罪悪感にさいなまれてしまうんだからこじらせているなと我ながら思う。
「嫌なことは寝たら忘れちゃうからなあ」は言ってみたい憧れのフレーズなのかもしれないなあ。