生にあって、死を克服せよ

tomomi
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しかし、ときとしてわれわれは、生きているのに死んでいると、感じることがある。とおいとおい先。何もない世界。その只中に、ほおりこまれた気持ちになることがある。そんなとき、死は、じっとりとこちらを見ているのだ。

生きているのに、死んでいる。その事実に、悲しくなるからこそ、人は今という一日を懸命に生きるのである。そうすることでしか、死の存在を頭のなかからかき消すことは、できないのだ。

しかし、そんな懸命に生きている最中であったとしても、死はじっとりとこちらを見ているのだ。たえまなく、われわれがそのことを忘れているときですら、死はこちらをじっとりと見ているのだ。

けっして目を合わせてはいけないそれに向かって、われわれはまっすぐに進んでいる。けっして目は合わせてはいけない。それと目が合ったなら、そのときには、もうおそい。死は確実に、自分と共にあるだけだ。

その先には、何もない。そこには、けっして行ってはならない。われわれは、しかし、確実にそこに向かって進んでいるのだ。そこからけっして、目をそらしてはいけないのだ。

@tomomi
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