無題

tomomi_2
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気楽に生きたい。

気づけばいつも奥歯を噛み締めて生きている。正確には私の奥歯はくっつかない。そういう嚙み合わせ。不整合。

何事も思い詰めている。推しへのファンレターを書くだけで一苦労。実際書こうとしている内容が重すぎて自己満足の塊、気持ち悪い。こんなんもらう推しの気持ち考えろ。でも書かずにはいられない。オブラートに包む。うわっつらの文章になる。まあそこまで読み手は気にしていない。たくさんもらううちの一通なのだから。そんなふうに推しが思うだろうと軽んじている自分も嫌い。推しが私と同じ思考回路なわけないだろ。でなきゃあんなに成功してない。

TLにふと推しの画像が流れてきたときの私はきっと、保育園でいつまでたってもこない迎えがやっと来たときの子供に似ているだろう。実際の私は保育園育ちではない。でも待たされている気持ち、心細さは想像できる。中には保育園が好きすぎて、先生のほうが好き、保育園にあるおもちゃのほうが好きで、全然気にしない子もいるかもしれない。だけど私がもし保育園通いの子だったら、たぶん毎日ノイローゼだっただろう。わからないけど。

そして大人になった今、私はつねにお迎えを待っている状態だ。不安で心細く、保育園の先生は嫌い、おもちゃもつまらない、なんとなく不潔な床、ほこりっぽい空気。外は暗い。寒い。お迎えは来ない。

そんなときに来たやっとのお迎えが、推しだ。きっとそうだ。

でも推しは親ではない。「永遠に迎え」に来てくれるわけでもない。一時の話で、しかも疑似的だ。

死んでしまおう。もうどうにもならないから。