133.ニ律双生

ミナベトモミ
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近年、「無形資産経営」を重視する新たなパラダイムが注目されている。

従来の経済や経営のモデルでは、四半期単位でのP/Lを積み上げ、他社より効率化を図るイノベーションが競争の中心だった。しかし、それだけでは限られた資源や資本が枯渇してしまうという課題が浮き彫りになっている。

そこで注目されているのが、リジェネラティブ(Regenerative)、つまり「再生型」の経営モデルだ。このモデルでは、ビジネスを通じて資産を蓄積し、環境、社会、企業それぞれの資産が相互に再生成される仕組みを目指す。

単なる効率化ではなく、持続的に価値を生み出し、蓄積する経営への転換が求められている。

具体的には、社会全体の共有資産である知的資産、関係資産、ブランド資産、文化資産、人的資産といった「無形資産」を国家規模で蓄積するメカニズムを構築し、サステナブル(Sustainable)な未来を実現するという考え方だ。

これにより、短期的な合理性だけに基づく投資判断を超え、資産の中長期的な価値が評価されるようになる。結果として、四半期ごとの投資判断においても長期合理性が働き、「その探索は、数ヵ年待つことで成果が出るものである」と定量的な可能性を掲示して、投資家との対話も可能となる。

日本でもこうした流れを受け、経済産業省が知的資産や無形資産に注力し、「デザイン経営宣言」「人材版伊藤レポート2.0」の発令を行うなどの動きが見られる。

MIMIGURIは研究機関として、この社会課題に向き合いながら、リジェネラティブな経営モデルの構想や変革を実践的にサポートしてきた。

さらに、自らもこの経営メカニズムを試行し、探索と実験を繰り返している。これにより、コンサルティングを通じた実務的な成果だけでなく、未来志向の経営モデルの可能性を探究し続けている。


さて、経営CAMPに向き合う中で、今回の議論の焦点となったのは、新しいパラダイムにおける「矛盾の構造」の変化だった。

二律双生とは、一見すると相反し、矛盾しているように見えるものが、実はお互いを補完し合い、活かし合う状態を指す。この視点が、これからの組織づくりにおいて重要な鍵を握る。

短期合理的な世界では、四半期ごとのP/L目標を達成するために、全員が目の前の業務に集中し、衝動を持って成果を出すことが求められる。その際の乗り越えるべき矛盾は、「行動指標を達成する、定型的業務をいかに効率よく進めるか」「定型的業務にいかに意義を込めて、個人がやりがいを持つか」という問いに収束する。

しかし、このアプローチは、環境の不確実性や課題の複雑化が進む現代では限界を迎えつつある。

複雑で厄介な問題に向き合うためには、一人一人の多様な才能を活かし、全員が異なるアプローチで解を探る方が効率的である。SHR社で例えるなら、「100の課題を100人で解く」という方法論だ。お互いの知恵を重ね、協力して探究を進めることが、不確実性を乗り越える鍵となる。

だからこそ、短期合理性だけに依存するのではなく、長期合理性のメカニズムを組織に取り込む必要がある。そのためには、共通の理念のもとで、100人それぞれが実験的な問いを持ち、挑戦することを奨励する文化を作ることが大切だ。

ただ業務効率だけを追求するのではなく、多様な問いに向き合い、全員で解決策を模索する組織づくりこそが、これからの冒険的な世界観では求められている。

この二律双生の視点を持つことで、短期と長期を同時に追い求めることが可能になる。それは矛盾を抱えるのではなく、その矛盾を創造的に活かす組織を作るということだ。

...という流れの中で、「相棒、たぶん長期合理性という言葉嫌いだよな笑」と思い、問いかけた後の流れは以下の通りである。

詳しくVoicyを聴いて欲しいのだけれど、経営チームとして「長期合理性」を社会に根付かせる困難なモデルづくりに力を注ぐことの重要性は揺るがない。

また、研究機関として、顧客企業の経営リーダーたちが向き合う複雑で厄介な問いを一緒に分かち合い、解決を探る役割を果たすことも大切だ。

ただ、そうした難しい課題に取り組んでいると、論理的な話ではなく、素朴な主観において、「探究を好きに楽しめる社会っていいやん」「好きなことを楽しくやりながら、それが人を喜ばせられたら最高じゃん?」というシンプルで根本的な原点が失われていくわけだ。

楽しいからやりたいわけで、それが長い目でみたら合理的でもある。ただ毎日においては長期合理性などを忘れて、没入して夢中になること。主観的にもそれを見失わないことが何よりも大切だと感じる。


ちなみに宮台真司氏の提言「意味から強度へ」が好きである。

ギャルがファミレスでゆるくだべるという行為は、一見すると特別な「意味」があるわけではない。しかし、実はその何気ないだべりの時間そのものが持つ「強度」こそが重要だと指摘がなされている。

なんかいい感じ、な訳だ。

確かに、人生の長いスパンの中で、時には立ち止まり、その「意味」に向き合う仕組みを持つことは大切だと思う。しかし、日々の生活においては、「今この瞬間」の強度こそが本当に重要だと感じる。

意味を問いすぎるより、今日という日の濃密さや充実感を大切にしたいと思うのだ。