17.性善説、性悪説、性弱説

ミナベトモミ
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公開:2024/7/24

あるリーダーが若くしてスタートアップを起業したとする。

リーダーは、学生時代や会社員時代に、ルールや役職の上下関係、さらには組織そのものが息苦しく抑圧的に感じられていた。

そこで、そのリーダーは、構造など余計なものは入れず、フラットな関係を築き、自由闊達に意見を言い合い、自由を謳歌するほうが良いと考える。

野生が解き放たれ、アイデアが衝動的に次々と溢れ出す感覚を味わう。

数値も順調で、毎日楽しくやれているため、良い文化が育まれているように感じる。我々は人の可能性を信じる「性善説」の組織なのだ!と語り、みんなもうんうんと頷いている。


しかし、人数が10、20、30と増えるうちに、不穏な雰囲気が漂い始める。

最近、リーダーさん変わったよね…と陰で言われるようになった。

事業は進まず、資金も尽きるかもしれない。閉塞的な空気が漂い始める。

それでもリーダーはなんとかしようと走り回る。

オフィスを離れて飛び回る日々が続くが、オフィスに戻れば内部の喧嘩の仲裁をする日々。自分がこれだけ頑張っているのに、なぜ報われないのだろうか?辛さが募り始める。

そこで創業当初から支援してくれているVCからフィードバックをもらう。

「リーダーさん、だから言ったでしょう。早めにマネジメント経験のある人を入れろと」。


急いでVCのつてをたどり、熟練の経営層をボードメンバーに迎え入れることができた。

「階層」「目標」「定例」を整備すると、驚くほど業務が整理され、組織も落ち着いた。

毎月、社内や投資家に対してファクトベースで報告が行われるため、状況が把握しやすい。

そこでリーダーは気づいた。自分は構造をフラットにしすぎて役割を曖昧にしていた。明確な方針も出していなかったのだ。

構造がなければ混乱が生じるし、すべての人が自分のように自分で考えて動けるわけではない。しっかり体制を整え、自分を信じて成果を出してくれる人を大切にしよう。

そう思うようになった。


数年後、組織は優れた軍隊のようになった。

戦略も明確で、投資すれば加速的に成長する。

大量採用で新しい人材が次々に入ってくる。活躍する人もいれば、チーム内で揉める人も増えた。目標を達成できずチームが困っているという。

リーダーは考える。急速的な成長を保つには、自分で考え成果を出せるプロフェッショナルな人を大切にし、山を登れない人は置いていくしかない。

「人間はルールに従うべき。そうでなければ悪さをする」という「性悪説」を心に抱くようになった。

寧ろルールを増やさないためには、誰を船に乗せるか慎重に考えるべきだ。

気づけば創業期のメンバーはほぼ全員辞めていた。それも致し方ない。

SNSで、「人の可能性を信じる組織づくりが大切だ」という呟きを見て、過去の自分を嘲笑うように、「ふん、ビジネスをわかってないな」と思った。


リーダーのスタートアップは華々しくIPOを達成し、日本を代表するIT企業へと成長した。社員数は1,000人を超え、事業も多角化している。

しかし、組織には不穏な空気が漂い始めた。

上場前の一体感は消え去り、毎週のように離職意向の連絡が飛び交う。

新しい社員が入っても、3年以内に多くが辞めてしまう。リーダーは、組織に受け入れられる個性・多様性の幅が狭すぎたことに気づいた。

経営層からは、「今こそ力強くビジョンを示し、グローバル展開を目指すべきだ」との声が上がるが、リーダーは目の前の問題解決を優先するべきだと応じた。

最近では「何のために経営をしているのか?」という問いが浮かぶ。

今振り返ると、創業当初、仲間と野生と野心のままに走り抜けていた時が一番楽しかった。しかし、今は衝動が衰え、日々悩みが尽きない。四半期ごとに株主への説明責任が求められ、立ち止まることもできない。


リーダーが代表を降りて、平取締役となり5年が経過した。

市場評価は一時下落したが、新代表の下で再び盛り返している。過去より遥かにタフな目標だが、経営陣は一枚岩であり、組織も野生を取り戻し始めている。

伊丹敬之氏の「性弱説」とは、「人は性善なれど弱し」という言葉。人間の性質は善ではあるが、心が弱く、困難にぶつかれば、誰もが葛藤や苦悩をするということである。

それはリーダー自身も例外ではない。しかし、その当たり前のことに向き合えなかった。鎧を解いて等身大の自分を見つなければ、困難に対してレジリエンスを持って立ち向かい、心の奥底にある衝動を取り戻すことはできない。

過去の問題に対しても、今ならきっと、より対話的に向き合えたろう。強烈に反省をしていることだ。

リーダーは自身の失敗を教訓に、仲間に感謝を述べ、チームが協力できるようファシリテーションを担っている。チームは弱さと情熱、両方を自己開示できるようになった。

不思議なもので、虚勢を張らず現在地を受け入れたことで、心の底からより良い社会を目指して冒険をしたいと改めて思えるようになった。(了)


起業・経営あるある」を盛り込み、ビジネス三文小説風に執筆してみた。

ドラッカーは「木は梢から枯れる」と語るが、リーダーの「捉え方」が変わると組織も生き物のように変化する。

ただ、人が善であると信じるだけでは、弱さを受け入れられない。弱い人間が力を合わせるには、仕組みが必要だ。リーダー氏は、その視点が欠けていた。

次に仕組みに傾倒し、極端に統制し抑圧をしようとする。失敗のトラウマが歪みを生み、「同じ失敗をしないには」と過度に気にしすぎてしまった。情報を見える化し、皆が自己規律を持って動きやすくすることが、成功体験にあったにも関わらずだ。

さらに、「自分は特別だ」と思うに至る、傲慢な成功体験を得たことで、傷を癒すための成功に執着し、自傷的になってしまった。やがて、限界が訪れ、痛みと重圧に耐えられなくなり、衝動が消え、周囲にも言葉が届かなくなってしまった。

その後の5年間、トラウマ(歪み)をケアする期間があったのだろう。本当に自分の為したいことや成功体験を捉え直すことができた。

自分も弱い人間と理解し、現在地点を見つめたとき、初めてナラティヴに語り、周りにも声が届くようになった。


人間観として、「性弱説」を持つことは大切だ。それは決して、「強い経営者が、弱い従業員が守る」という視点ではない。

自分や仲間の弱さを知りながらも、それでも人間の可能性を信じて向き合えるリーダーの方が強い、ということだ。

人間は1人では弱い生物だ。だからこそ、コミュニティや社会を形成し、アニマルスピリッツを胸に、ここまでの発展を遂げてきた。弱さを抱えつつも、無限の可能性を秘めているのが人間なのだ。

マネーフォワードの辻さんの「失敗を語ろう」が大好きだ。リーダー氏も起業前に読んでおけばよかったかもしれない。

僕は強くて完璧なリーダーではない。でも、弱さを武器にして「周りの力に助けてもらいながら、チームとしての出力を最大化する」という逆説的な強さを持っている。

辻庸介 著「失敗を語ろう」より引用

弱さを見つめることは、理念を投げ出し、目標に背を向けることと誤解されがちだが、実際には弱さを力に変えるからこそ、大きな困難に立ち向かうことができるのだ。