ひとに褒めてもらうのもあり

ともや
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4月19日(金)

今日も先週に引き続き訪問が少ない日。もう今日は徹底的にサボってやろうかと思って、合間に本屋に寄る。『ルックバック』『ジョジョランズ』『哲学入門』『なぜ仕事をしていると本を読めなくなるのか』を購入する。『なぜ〜』は半分くらいまで一気に読んでしまう。おもしろい。

夕方の利用者さん。この方はとても耳が遠くて、近くでどれだけ大きな声で喋ってもうまく聞き取れない。高齢になればなるほど、とくに高音域が聞き取れなくなっていく。だから、少し声を低くした方が聞き取ってもらいやすいことがある。そこで今日はDIO様の声で話しかけることにした。DIO様とは、かの有名な『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるキャラクターで、主人公のジョジョの宿敵として各シリーズに因縁を残す金髪クソ野郎である。アニメでは、子安武人さんが声優をつとめており、私は彼の声の低音かつセクシーな声がとっても好きだ。ちなみに『呪術廻戦』の伏黒パパも彼だ。

できるだけDIO様の声をイメージしながら、低音ボイスを発する。「今日はァ、天気が良いので外にでも行きましょうかァ…」。いつもなら、一発では通じない。し、こんな小声では通じない。ところが、利用者さんは「ええ、行きましょう」と返してきた。通じる! 通じるじゃあないか! いつもなら、3〜4回は繰り返し声をかけないと通じないのにDIO様の声なら一発で通じる。さすがDIO様! おれの声なら通じない言葉も平然と通じさせてみせる! そこにシビれる、憧れるぅ!

そのままリハビリの声かけもDIO様で行う。「どこかぁ、痛くはないですか?」「今日はァ、とてもいい天気ですねェ…」「一度休憩いたしましょうか」いや、絶対言わないだろうみたいな優しい言葉を声真似をしながら言っていることに、だんだんと羞恥心が湧いてきたのだけれど、もうやめられない。もし耳の遠い方とお話す瑠美子機会のある方は、ぜひDIO様やってみて(いや、低音でOK)。

夜は友人とお酒を飲みながらzoomでお話し。地域の短歌賞で準賞をとった彼女のお祝いから開始。おめでとう。自分のことのように嬉しい。憧れの俵万智さんからも選評をもらったらしい。それを目標にしていたとのこともあって、とても嬉しそうだった。今までは自分が自分が、と自分が一花を咲かせることに躍起になっていた気がするけれど、最近は周りの友人たちの活躍を嬉しく思えるようになってきた。それは自分の人生とか能力とかへの一種の諦めのようなものに近いのかもしれないけれど、人の喜びを喜べることは、ひとつ人間として成長したように思うんだ。あれ、もしかして「推しを推す」って、こういうこと…?

3月は体調不良とともに自己肯定感が死んでいたので、友人にめいっぱい褒めてもらう。あぁ、あぁ、自分から「言って」と言ったくせに、言ってもらえると恥ずかしい。が、やっぱり嬉しいし、MPが回復するみたいに自己肯定感が回復していくのがわかる。自分で自分を蔑んでしまうときは、ひとに褒めてもらうのもありだなぁ。

後半は、短歌作りのコツについて聞いた。彼女の短歌には、ちょうどよく“詩情”が反映されているように思えるのだけど、当の本人はあまりわかっていなかった。けど、聞いていくうちに、その短歌が彼女の見ているものそのものなのだと気付かされた。きをてらってみたり、かっこいい言葉を使ってみたり、妙に説明くさくするわけでなく、できる限り自分の「見ているもの」をそのまま描くこと。その世界の見方の、自身と他者との橋渡しとして短歌を詠んでいる。そんなふうに感じた。

@tomotomo
ともや。妻と子ども(2歳)の3人暮らしの日記。