11月25日(土) 休み
早朝に家族の用事を終わらせて、私はひとり映画を観に行く。ずっと楽しみにしていた『ゴジラ-1.0』。月日会員さんの中にも見に行かれている方がチラホラといて、ウズウズしていたのだ。
映画のチケットを買って、朝食にカフェで目玉焼きトーストを食べ、また映画館に戻った。よくある予告編集と、映画泥棒のCMを一通り見て、IMAXのプレゼンテーション動画も終わりさあこれから映画がはじまるところで、それは起こった。
「誰か、誰か救急車呼んでください!!!」ふぇっ? と前の方の座席を見ると、高校生くらいの男の子が痙攣している。隣のお父さんらしき人はパニックになっていて、その子の名前を呼びながら肩を叩くことしかできない。誰かがスタッフを呼びに行ったようだけど、近くの観客は誰も近寄れなかった。遠くから見ていても、痙攣が強い様子だったので、その子のところへ駆け寄った。薄暗くてよく見えなかったが、痙攣が起きる前に食べていたのだろうポップコーンなどが喉に詰まっていて窒息しかけている様子だった。すぐにスマホから救急要請。隊員に意識状態や呼吸の状態を伝える。もうすぐゴジラがはじまりそうな劇場の中で、私たちは男の子を席から運びだす。そのうちに彼の痙攣はおさまり、嘔吐もして呼吸も平静に戻っていった。スタッフさんが担架を用意してくれて、他の観客の方とも一緒に運び出す。スタッフさんの対応もあり、本人の状態も落ち着いていそうだった。スタッフさんの指示で、他の観客は劇場に戻ることになった。劇場に戻るとゴジラは止まっていて、なんなら最初からに巻き戻してくれていて、準備が整い次第再上映してくれるという。あゝ、やさしさ。
まさかの人生3回目の救急対応。でも、流石に3回目だから前より落ち着いていた。唐突に「この日のために、これまでがあったのかもしれない」という感覚に襲われる。つい最近のあの人の救急対応、数年前の救急対応。または訪問看護という業種に勤めたこと、もしくは理学療法士になったこと。自分の選んできたこれまでが、今日という日に一気に収斂したかのようなる感覚。人生とは、これの繰り返しなのかもしれない。いま選んでいることが、どこに繋がっているかなんて、誰にもわからない。わからないから、進んでいるのか、止まっているのかわからない。けれども、選んできたこれまでが、今日を救うことがあって、それがひとときの安心を与えてくれる。思い返せば、そのような瞬間は自分の人生にいくつかあって、すでに何度も経験していることに気付かされる。息継ぎのようにこの瞬間は現れて、また私たちを日常に潜らせる。きっと、生きるとはこの日のためにこれまでがあったと思う日々の更新。これを繰り返して、私たちは生を泳ぎ切るのだろう。
今日の出来事に勝手に繋げてしまうけれど、『ゴジラ-1.0』の敷島も、きっとラストのためにこれまでがあって、この日のために生き延びてきたのかな、と思った。
午後からは美容室へ向かう。映画から少し時間が空いたので本屋をぶらぶら。『NHK短歌』の雑誌を買う。私はどこまで短歌にハマるつもりだろう。
今日もいつも通りカットしてもらう。私は髪型に大きな変化はない。いつも「長くなっているから短くしてもらう」だけ。それでも彼女のところに通うのは、なぜか彼女のカットだと髪が伸びても重くなったり膨らんだりしないところにある。彼女に会うまではいつも、伸びてきたらセットもできないくらい重たくなっていたのに、彼女のカットではそうならない。私にはわからない技術の差がきっとあるんだろうなぁ。今日はトムクルーズの話は出なかった。
美容室の前には少しお高めのパン屋さんがあって、カットしてもらった日はいつもここでパンを数個買って帰る。妻のお土産として。今日も喜ぶかな、なんて買って帰ったら、妻の方はミスドを買ってきてくれていた。私はエンゼルフレンチが大好き。ありがとう。