『本』が欲しいのだ

ともや
·

5月1日(水)

水曜日の昼休みはいつも事務所で過ごす。水曜日だけお昼ご飯をいっしょに食べる同僚がいる。彼女のことを水曜日の友と呼ぼう。いつも通り、休憩所に行くと、彼女がさきについていて何やら書類を書いていた。チラッと見ると、「事故報告書」とある。ギョッとして、どうしたの⁈ と聞く。聞くまでもなく「事故った」とのことだった。十字路で、まっすぐ進んでいたはずが、前方の車が突然右折のため減速。急ブレーキをしたけれど、間に合わずコツンと当たってしまったらしい。彼女はそのまま左側に転倒してしまった。乗っていた人がなんだか強面の人だったらしく、事故の事後のパニックも合間って、より緊張したらしい。ここにいるということは、ひとまず身体がどうもなくてよかった。「ちょっと右首が痛いですけどね」と彼女は笑う。大丈夫やないやん。「でも、バイク乗るのすこし怖くなっちゃったなー」とも言う。うん、それはそうだよね。生身だもの。バイクの損傷はそんなになく、今も走れているらしい。事故は身体の傷もだけど、心にも意外と傷を残すものだから、無理をしなければいいな(経験談)。

夜は本日京都にOpenする『鴨葱書店』へ行く。東京は三鷹にある『UNITE』の店主 大森さんが新たに京都に開く書店である。オープニングイベントとして催された『哲学者の谷川嘉浩さんと本を選ぶ』に、インスタで繋がった哲学好きの彼と行ってきた。

10坪くらいしかない店内だけど、すっきりかつ凝縮に本が詰まっていて楽しい。本棚は、短歌、詩、文学、人文、心理、哲学、歴史、美術などの本がジャンルとジャンルを繋げるようにグラデーションで並べられていたし、平積み台には店主オススメの本は色のグラデーションで並べられていた。ナナロク社との企画『木下龍也の選んだ歌集展』もカウンターで展開、奥には有名歌人の短歌の短冊が木彫りで吊るされて、もう大素敵空間だった。

本題の谷川さんと本を選ぶ企画も楽しかった。本の選び方として、文脈、タイトルや装丁、本の重さや紙質、本から本へ、という感じで選ぶらしい。たとえば自分に震災の経験や、哲学を学んでいる経験があるとすると、その自分の文脈に沿った本を選ぶことが多い。その本の中で紹介されている本というのは、もとの文脈に繋がっていることが多いので、その本を手に取る機会も増える。それだけでなく、タイトルや装丁、本の重たさや紙質で惹かれて買うこともあるという。例えば重たい本がある。例えば一ページの紙がとても厚い本がある。例えばページ数に対して、とても値段の高い本がある。そこに出版社がどう読ませたいか? というメッセージを感じるというのである。確かに重たい本は、ずんっと本棚にいて、その存在感を主張にしてくる。ページの厚い本は、捲ることに少し神聖さをもたらす。逆に安くて薄い紙の本は、それだけその本を流布させたいという気概を感じるのだという。そう思うと、私は『本』を買っているのだな、と思う。その本の内容や情報は電子書籍でもわかる。なんなら要約サイトを見てもわかる。そうでなくて、わざわざ『本』を買うのは、私は内容だけが欲しいのではなくて、装丁や紙質、手触りや重さ、その本のすべてを示すモノとしての『本』が欲しいのだと思う。

谷川さんの本選びの話のあとは、参加者各々で本を選ぶ時間になった。みんなで小さな書店を回りながら、本棚を見つめる。「あ!」と誰かが手に取った本に「それ面白いですよ」とか「どういった本なのですか?」と互いに声をかけあう。今日はぜんぜん本を買うつもりはなかったのだけれど、私も結局『気がする朝/伊藤紺』『他者といる技法/奥村隆』『「誰でもよいあなた」へ/伊藤潤一郎』『オーバーヒート/千葉雅也』と4冊購入してしまう。それに鴨葱書店オリジナルのブックカバーもつけて欲しかったから、別にいいんだ。

本選びが盛り上がり、予定の時間をかなり超過していた。皆さんの会話がはずみ、このまま居続けたかったけれど、今日の予定を許可してくれて妻に申し訳ないので先抜けする。帰ると、妻と息子はもう寝ていた。鍋にはスープが作ってあって、浴室にはお風呂が沸かしてあった。今日は雨が降って、春なのにとても寒い日だった。両方とも温めて、お腹も身体も温めてて、フリーレンを見て寝た。

@tomotomo
ともや。妻と子ども(2歳)の3人暮らしの日記。