「ありがとうございました」

ともや
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5月2日(木)

朝から足の筋肉痛がひどい。実は2日前にサーキットでスクワットを30秒×3セットやった。昨日も筋肉痛があって、なんだこんなものかと思っていたのだけれど、今日になって強烈に来た。床からの立ち上がり、歩行、階段昇降に至るまで足がガクガクである。でも、痛みってここちよい。「鍛えた」って感じがある。こんなに筋トレを頑張ったのは、先日読んだ『スクラップアンドビルド』のせいだと思う。筋トレによってビルドされていく主人公を読んだせいだ。

朝一は訪問がなかったので、自宅待機。仕事をしながら『葬送のフリーレン』をつけておく。試験編が終わった。面白い。シュールな部分とドバァーっと派手に戦う部分の両者があっていい。それに「思い出す」という構成がよい。場面場面でフリーレンが思い出す、何気ない言葉、エピソード。いまのフリーレンが、それらの出来事でできていることを感じさせられる。

夕方に訪問する利用者さんは、身体を動かすことや声を出すことが難しくなった方だった。リハビリ中は発声をしたり、歩く練習をしたりすることができるのだけれど、意欲が低下してしまい、自発的になにかをするということがなくなってしまった。話しかければ一言は返ってくるのだが、訪れてみても無言で、帰るときもいつも無言だった。今日は、とても天気がよかったので「お庭に出てみませんか?」と声をかけた。いちおう、うん、と言ってくれたので一緒に外へ出た。そのおうちは丘の上にあって、京都タワーやビル群を一望できる。それに夕方頃には西から夕日がさして、とてもオレンジ。途中、歩くのをやめて二人でオレンジを眺める。何も言わない。いつも通り。自宅に戻って休憩し、バイタルを測って訪問を終える。けれど、お宅をあとにしようと、席を立ったときだった。「ありがとうございました」。いつも自ら言葉を発することがない利用者さんから、初めて自発的に聞いた言葉だった。まるで学生時代に初めて女の子に告白されたときのように、胸にズッキューンときた。なんなら少しウルッとしていた。それは嬉しさでもあったけれど、自責でもあった。庭は、利用者さんが元気なときに、自ら手入れをしていたことを聞いていた。いまは奥様がかわりになって手入れをしている。歩くのが難しくなって、奥様の介助では外に出るのも難しくて。利用者さんは何も感じていない、と思っていた。勉強しているから、何も感じていないわけないと知っているのに、どこかで諦めていた自分がいた。そんな人が今日、ひとこと「ありがとうございました」と言った。どこか諦めていた自分をすこし責めた。

リハビリでは、たまにこういう場面に出会える。結局リハビリは、筋肉をつけたり、歩けるようになったりすることが全てではない。筋肉がついたり、歩けるようになったその先の、その人が大切にしてきた何か出会えるようになれることが、大事なのだ。

@tomotomo
ともや。妻と子ども(2歳)の3人暮らしの日記。