11月24日(金)
「や」が違う。職場の上長が仕上げてくる勤務表の私のともやの「や」の漢字がいつも間違っている。例えるならば、本当は「みつを」なのに「みつお」と書かれてしまっているような。もしくは「濱中」なのに「浜中」と書かれてしまっているような。じつはこういう名前の間違いは、人生のこれまでで何度もある。しかもかならず「や」だけ間違える。途中まで完璧なのに、「や」で最後つまづいてしまう。で、名前間違いされた時、指摘するかといえば、あまりしない私。どんな漢字でも音は「や」のままなので、もういいかと思ってしまう。そのうち気づくだらうと思って、この職場に来て半年になった。勤務表は今日もなおっていない。フルネームでのLINEを毎日送っている。半年経ってしまったことで、逆に言いにくくなっている。自分でも思う。間違ってるなら言えよ。その通りである。それについて、私は反論する術をもっていない。直してほしいなら、言えばいいだけである。たぶん私は楽しんでいる。この間違いの状況をすこし楽しんでいる。
夜は高瀬隼子さん著『うるさいこの音のぜんぶ』で読書会。楽しかったー。参加人数はいつもより少なめでまったりめ。やっぱりペンネームで書くとは? ということが話題の中心だったように思う。この本の主人公にとって、ペンネームで書くとは、第二の人格、とまでは言わないまでも主格には吐き出せない言葉を吐ける唯一の手段だったのでないか。ペンネームで認められた作品について、主格が問われる日々。現実の私と書く私、現実の私と創作。グラデーションの中にあるはずのものの一致と分断。それをテーマにした作品だったように思う。
私もこの日記を実名では書いていない。漢字フルネームの実名だと、なんだか筆が抑制される気がする。ともや、だからこそ書けることがあるような気がする。これを書いているのは当たり前に私なのだけれど、ペンネームは、私と書いたものの間にひとつクッションを挟んでくれるような気がする。