初めてカラーセラピーを受けた。最初は「こんなので何がわかるんやか」って疑ってた。けど、最近の自分の悩みをドンピシャで言語化された。全て選んだ色から分かるらしい。
ここまではTwitterでも書いたお話。ここからは自分との対話。
仕事とお金で悩んでること
人のため >>> 自分のため 思考であること
「-べき」思考であること
母親に強く引っ張られていること
ボランティア精神にあふれていること
自分を大切にできていないこと
全てを言い当てられた。特に「マゼンタはマザーテレサの色」と言われてドキッとした。この色は「見返りを求めるボランティア精神」を表すらしい。マザーテレサのすべてを知っているわけではないが、自分を犠牲にしても人のために尽くせるすごい人だ。確かに今までの自分を振り返ると、自己犠牲を厭わず、どうすれば相手が気持ちよく過ごせるかを優先して考えてきた。
相手が嬉しい -> 自分も嬉しい
相手が嬉しくない -> 自分も嬉しくない
全ての自分の感情は相手ありきで、相手に与えられたものがほとんどである。人の顔色を窺って生きてきたといっても過言ではない。ただし、人のために、人のためにって動いても、自分が疲弊するばかりで動けなくなって、結局人のためにならないと言われた。自分の中では当たり前の考えだから、これがおかしいということにも気づいていなかった。おそらく、27年間、無意識に自分を蔑ろにして疲弊していたのが、最近になって爆発したのではないかと思っている。
「自分のために自分のやりたいことを自分で決めてやっていい」
全てはこの一言に尽きる。セラピストにもそうアドバイスされた。しかし、まず人のためにをずっと考えてきた自分にとって、自分のためを考えることは「人のためにを考えない」ことを同時に意味する。自分から「人のため」の考えを除いたら何が残るのだろうか。それだけ人のために染まって生きてきたのだ。今までの自分の人生を否定するつもりはないが、真逆の人生を生きろと言われると、やはり今までやってきたことに意味はないのだろうか、自分はなぜ生きているのだろうか、いろんな思いがこみ上げてくる。
自分のために生きていいって言葉にするのは簡単だけど、実際にこれから自分の人生を生きるのはこの私。
いつか前を向いたときに自分の人生を肯定できるように
もがきながら泣きながら「今」を過ごす