日曜美術館で河井寛次郎記念館の特集から、興味を抱いて行くことにしたのは2月の初旬のこと。暖冬でぼんやりした空気の中、まだ観光ハイシーズンではない京都はそこそこ落ち着いていた。
河井寛次郎記念館はメインストリートから少し外れたところにあり、思っていたより観光ズレしていない、昔こんなだったかなという雰囲気を残している。
入ってみると、どっしりとした木の柱や建具が重厚なのに威圧感がなく、妙に懐かしいような気分になった。来たことがないのに。
そしてそこかしこにしれっと置かれている作品の数々。ちょっと待って今までガラス越しでしか見たことないんですけど普通に使ってる…!!!!民藝運動の代表みたいな人だから、こういうものは使ってこそってことかと感心した。
本当にこの人が好きなものだけ集めたところなのが痛いほど伝わってくる(そしてわたしの好み直球ど真ん中をぶち抜かれているのでところどころで変な声が出た)臼、好きなんですね(椅子とテーブルが元は臼だったもの)
わたしはIKEAとかでも椅子やベッドにあまり座りたがらない方なんだけど、ここはそこかしこにある椅子に次々と座りハマって溶けてしまいそうだった。住みたい。大変だと思うけど。
畳の部屋に上がって、ふと横を見ると、当たり前のように猫が香箱を組んでいた。誠にホスピタリティあふれた猫で、写真を撮っても嫌がる素振りすら見せず、というか畳や柱、調度品に爪痕一つついてない。なんだこのできた猫は。
猫の名は「えき」というらしい。ある日やってきてここで働くことを決めたようだった。かつて寛次郎の娘さんが可愛がっていた猫がいたのだけど、(猫、寛次郎の器で飯を食べていたようで、落語の猫の皿だ!本当にそんな話あるんだ!と思った。)ある日猫が居なくなって娘さんが大層悲しんでいると「猫というのは連続した生命体だから悲しむことはない」と言ったので娘さんは怒りを覚えたそうだ。そりゃそうだ、うちのテルミンさんが身罷ってそういうこと言われたら咄嗟に殴ってしまいそうだもの。
だけど、寛次郎がその猫をモデルとした招き猫の木彫を仕上げた頃に、何故か子猫がやってきて住み着き、生まれ変わってきたかのようだったとか。寛次郎の言葉を体現するかのような猫がここに来る。お客様に愛想を(控えめに)振りまき、調度品に調和し、そして傷つけもしない。猫の理想を形にしたイデアみたいなのがここには実在している。
イデアなのは猫だけじゃないかもしれない。寛次郎は亡くなったけど、子孫の人がこの家や調度品、作品を愛し大事にする姿は寛次郎が生きていた頃となんら変わらない。肉体は滅びても魂は受け継がれてまだここにある、そんな気持ちになった。仕事を愛し、家族を大事にして好きなものに囲まれて暮らす、人間の理想みたいなのがここには詰まっている。
今思い返しても暖かな気持ちが湧き上がるそんな場所だった。折々にまた行きたい。(展示替えもあるしね)
もう使われてない登り窯も素敵だった。京都はずっとやきものの街であってほしい。近所の陶芸家がすごい人間を信頼しきった売り方しててぶったまげた。
野晒し。
もちろん買いましたよ。もっと思い切って黒いお皿買っちゃえば良かった。