佐藤優『十五の夏』を読んでいる。上巻を読み終わったところ。1975年に当時高校一年生の著者が夏休みにひとりでソ連を含む東欧を旅行した体験記。上巻は主にソ連以外の東欧でのことが描かれて、モスクワ入りしたあたりで終わる。
著者が社会主義国への旅行で、これまで知らなかった現地のことを知るように、2020年代にそれを読む自分も、これまで知らなかった(または忘れていた)1970年当時のことを知ることができる。社会主義国では、外国からの旅行者のなかでも「資本主義国からの旅行者」に対する制限があったりする。スマートフォンはもちろん、インターネットもないので、切符の買い方や観光する場所の情報はネットではなく現地の人から聞く。遠くにいる人とのやりとりは手紙で行われ、国際郵便は届くのが遅い。ロシア語で書かれたメモを翻訳しようとして誤訳が発生する。その結果旅の途中で多くのすれ違いが起きる。飛行機のトランジットの概念はいまと異なり、列車のように「途中の空港で一部の人が乗り降りする」かたちで行われている。高校の新聞部では右派左派などの言論を活発に交わしている。
この本は、読んでいてどこか気持ちが良い。本人が見たこと、聞いたこと、話したこと、感じたこと、考えたことが、細かく、自然な文章で書かれている。面白く聞かせようといった叙述はほとんど見られない。一部、「このやりとりがきっかけで、のちにちょっとしたトラブルが発生することになる」といった伏線を張ることがあるが、「あとから振り返ればこんなことあったよな」と普通の人が考える程度のものであり、親しみが持てる。現地の人とのやりとりもひとことひとこと丁寧に書かれていて、良い。気になるところといえば、ご飯をよく残すことくらい。逆に、レストランで注文したメニューや、人と話した内容も細かく書かれすぎていて、リアルタイムですごい量のメモを取っていたのだろうかと気になる。十五歳で現地の人と英語でコミュニケーションを取っている英才だし、現代では「知の巨人」と評される著者なので、記憶力が異常に良いのかもしれない。