■『宮本百合子全集 第十巻(文芸評論(一))』で取りあげられている文学作品
◎「最近悦ばれているものから」時事新報1920年2月17-19日
ブラスコ・イバンツ(スペイン)
ロード・ダンサニー「人馬の花嫁」松村みね子
H・G・ウェルズ/John Galsworthy/アナトール・フランス/モーリス・メーテルリンク
ロマン・ロラン "Colas Breugnon"
◎「アンネット」(『婦人公論』1927年秋期特別号)『婦人公論』1927年秋季特別号
好きな物語の好きな女主人公=ロマン・ローラン The Soul Enchanted(魅せられた魂)のアンネット 《大体、外国の本当に偉い作家たちはよく女性を描いているので感心します。》p25
◎「新たなプロレタリア文学─アレゴリーと風刺─」東京朝日新聞1931年7月1、2,3日
ゾーシチェンコ(ユーモア文学)
《ミハイル・アファナシェヴィッチ・ブルガーコフという小説家がソヴェトにいる。一八九一年キエフ生まれで才能がある。一九一九年のあるさびしい秋の夜、汽車にガタクリ揺られながらふと短い小説を書いたのが始まりなのだそうだ。》「トゥルビーン家の数日」「赤紫の島」=上映禁止 p50
◎「プロレタリア文学における国際的主題について」読売新聞1931年10月16,17,20,21、22日
p58《郡司次郎正という大衆作家がいる。彼はよみ物提供の種をさがしに、異国情調、国際的背景を求めてハルビンへ出かけていた。すると、奉天のパチパチが怒って、あの辺一帯が大騒ぎになった。》←満州事変 《郡司次郎正は一躍「ハルビン脱出記」の筆者となった。》 《彼は無智な軍用ペンをふるって、ブルジョア異国趣味から狂気的民族主義へ飛躍しているのだ。》p58
藤森成吉「転換時代」《ふかい、ひろい不満だ。上手とか下手とかいうのと違う。》p61 《ドイツプロレタリアート・農民の巨大な燃える攻勢》を描こうとした? 《この巨大な主題を、唯物弁証法的にこなすこなしかたに、或いは主題の唯物弁証法的把握そのものに何か不足があったことは明らかだ。》p62
→自分のことも言ってる。《これは非常に有益な、興味ある穿鑿だ。何故なら、中條百合子がこの間うち『改造』にソヴェト同盟の紹介小説「ズラかった信吉」を書き、未完だが、やはり唯物弁証法的方法の点で失敗している。》p62
◎「ブルジョア作家のファッショ化に就て」時事新報1932年1月28、29,30日
《ブルジョア大衆作家の才人直木三十五は、ついこの間「ファッシズム宣言」と云う啖呵文を読売紙上に発表して、三上於菟吉と共に民間ファッショの親玉に名乗りを揚げた。》p66
《一見、自由主義的な、或は復古趣味的な作品を書くことになって、ハッキリとファッショへの道を辿っている一群の人々がある。》p69 =牧野信一「ぜーロン」、川端康成の或る作品=《階級対立の現実から自身、眼を外らし、動じに読者をも科学的な世界観から切り離してくる点において完全にファッシズムの一つの支柱としての役割を持っている。》p69
◎「文芸時評」「提出したい問題──徳永直の作品を読んで」東京朝日新聞1932年1月28-31日
徳永直「未組織工場」「ファッショ」《読んで感じるのは、徳永直がこの小説で何か新しい試みをしようとしている、しかもそれが成功していないということである。》p79
◎「文学に関する感想」日本プロレタリア作家同盟機関誌『プロレタリア文学』1932年12月号
林房雄「青年」(『中央公論』) =《「青年」に対して、林はブルジョア文学、ジャーナリズム陣営からは褒められ、称賛され、プロレタリアの陣営からは疑問と批判とをもって迎えられた。》 《林房雄は二年の獄中生活の間、決してあんけらかん(ママ)としていたのではなく、大いに読んだ。朝五時に起きて午前中創作に没頭するという学ぶべき習得も奪取してきたという話である。「青年」「乃木大将」その他は二年間の読書の成果なのであるが、林の作品を批判するにつれて、一つの強い憤怒が湧いてきた。それは専制国日本の刑務所で実行している読書制限の問題である。
◎「一連の非プロレタリア的作品」『プロレタリア文学』1933年1月号
藤森成吉「亀のチャーリー」(『改造』
須井一「幼き合唱」「樹のない村」
◎「同志小林の業績の評価によせて」『国民新聞』1933年4月6,8,9,10日
宮島新三郎『報知新聞』の文芸時評で、小林多喜二の死に哀悼。《「何が小林氏の死を早めたか」と云い、「私はこの点を十分作家同盟員に考えて貰いたいと思う」と述べている》p124
◎「前進のために」『プロレタリア文学』1933年4・5月合併号
百合子の批評に対する反駁に、答える。
《諸同志の批判を見ると、そこに一貫して云われている幾つかの共通なことがある。その一つは筆者中條が「無反省的思いあがり」で「ABC的観念的批評をやりながら」「おそろしくいい気持ちで」「傲慢な罵倒」を「小ブル的自己満足」をもってしている。(同志藤森「批判の批判」)又、中條という「少し太りすぎて眼鏡などかけた雌蛙」「プロレタリア文学における」「見習い女中にすぎない」者が……》p134
《私は順二、第一の批判からとりあげてそれを正しく自己批判に摂取すると同時に、プロレタリア文学全線との関係においてその批判の意を観察して行きたいと思う。》p135
《その論文が先ず読者を納得させることに失敗したとすれば、それは論文のマイナスの部分として認めなければならぬ。同志藤森が、論文中にあるある種の文句を、不適当の者として指摘したことは正しい。 (改行)しかし、そのことと、「悪罵」とは明らかに区別されるべきであると思う。悪罵とは、討論の対手に対して、個人的罵倒すなわち「眼鏡をかけた雌蛙」だとか、「尻尾のない雌鶏」だとか云うことであって、これは作品評として、科学的内容の不正確な形容詞を使うことと同じではないのである。》p135-136
◎「婦人作家の「不振」とその社会的原因」『週刊婦女新聞』1933年7月23日
婦人作家が「振るわない」のは、社会が女性を搾取しやすいように、教育を受けさせないから。また一方矢田津世子、大田洋子、堀寿子などは、生活のため、ブルジョア雑誌の求めに応じて低級なエロ、ナンセンスを書かねばならない。一方、「女性作家不振」というジャーナリズムは、プロレタリア文学を顧みない。現在、プロレタリア婦人の文化水準は低いので今すぐ優れた作品を家家はしないだろうけど、各地の農村工場から送られてくる通信員の当初や報告には、《百の大田洋子が寄っても書けないいいものがあります。》p151
シャギニャーン(革命前から活躍するソ連の女性作家)、水力発電所に取材した小説でレーニン賞を受ける。p151
◎「マクシム・ゴーリキイの人及び藝術」『婦人公論』1933年10月号
百合子は、何回かゴーリキイのことを書いている。ソヴェト滞在中、湯浅芳子と共に、ゴーリキイを訪れ、感銘を受けている。また伝記を書こうと試みている。
《この時代に、世界は文学の分野において誇るに足る二人の勇士をもっている。ロマン・ローラン、マクシム・ゴーリキイの二人である。》p152-153
◎「見落とされている場所─文学と生活との関係にふれて」『婦人文芸』1934年11月号
藤木稠子「裏切る者」(戯曲)『婦人文芸』九月号 《深い感想に動かされた》p191 藤木稠子「白道」(随筆)《書くことをすてまいとして、これまであらゆる職業を中途ですてて来ている。》p191 →それへの批判。働くこと、職業を全うすることは《文学の素材としての生活の宝の山》なのに、と。
えー百合子さんは働いたことないじゃないの;;
◎「ツルゲーネフの生き方」『文化集団』1934年11月号
裕福な貴公子。ペテルブルクの社交お買いに日を送り、出会ったヴィアルドオ夫人の《溌剌とした性格、処世術の魅力によって、生涯を支配されるに至ったのである。》p205
トルストイと比べて批判。
ツルゲーネフがパリの客間でヴィアルドオ夫妻とともに「スラヴ人の憂鬱」について語っていた時分、十歳年下のトルストイはバストウポリの要塞で戦争の恐ろしい光景を死屍の悪臭とともに目撃していた。》p208
◎「二つの場合」p211『輝ク』1934年11月17日号
山川朱実『朱実作品集』 (のちの歌人、北見志保子)
窪川いね子『牡丹のある家』
◎「『地上に待つもの』に寄せて」『地上に待つもの』ナウカ社、1934年12月
「種蒔く人」の山田さんの自伝的小説『地上に待つもの』
山田さん?
◎「文学における古いもの・新しいもの」『行動』1934年12月号
窪川鶴次郎「風雲」
◎「冬を越す蕾」『文芸』1934年12月号
転向作家について。百合子の考え、興味深い。(読み流しでちょっとわからないけど)
《中村武羅夫氏や岡田三郎氏によって、いわゆる転向作家に対するボイコットが宣言されたとき、(略)反動的な動機から呈出されている両氏のいい文のかげに隠されているものに対して、注意を引かれたのであった。》p232
辰野信之「友情」 村山知義が批判?
プロレタリア文学はもっと裾野の広いものであるべき。
転向をしたなら、そうせざるをえなかった時分の状況心境などをもっと、きちんと向き合って書くべき……という意味かな
(以前のような主義で凝り固まった教条的な考え方からは卒業している、と)
《私たちの切に知りたいのは、性格にそのような動揺する暗さ明るさをもったインテリゲンチアの一段がその青年期のあるときにいろいろの矛盾を背負ったまま階級的移行をしたのは、歴史的にどのような必然によるものであったのか。そして、それから十年にわたる彼らの活動は、どんな歴史的特色をもっていたが故に、今日の困難な情勢の下に彼らが挫折しなければならないように、その内的矛盾を激化したのか。》p235
《率直に感想を述べると、私には村山や中野の話の中に、何か腑に落ちず、居心地わるい心持を与えられるものがある。あのようにいい頭といわれる頭をもっていて、自分たちが、転向男するようになった気持ちが時分にもよく分からないといってそれを押すのは、事情もあろうがなぜなのであろう。》p236
◎「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」『文学評論』1934年12月号
ブルジョア作家たちのが、社会的不安を反映する文学を創作。しかしその不安、苦悩の根源を探求しようともせず、実践的努力もせず、不安の文学のお手本を、フランス文学に求めた。低迷期のジイドや、ナロードニキの敗北期にパリへ移住して虚無的作品を書いたシェストフを紹介。
《インテリゲンチアの知的自慰にすぎぬ不安の文学が、(略)新しい心境文学を創り出すことができないでいる間に、いい加減に遺されていたリアリズムの高唱、明治文学再評価がかえって実際の実を結び、ブルジョア文学の上に、本年度の特徴を成す一現象が現れた。それは、明治文学の記念碑的長篇「夜明け前」を『中央公論』に連載中の島崎藤村はもちろん、永井荷風、徳田秋声、近松秋江、上司小剣、宮地嘉六などの諸氏がジャーナリズムの上に返り咲いたことである。》p243
文壇を総立ちにさせた作品 =竜胆寺雄「M子への遺書」文壇の内幕を暴く。
横光利一 《頭脳のある程度の緻密さと、作家としての大切な生理的気分を持ち、そうざらにはいない男》p256 なのになぜ《自分たちの「思うことと実行することが同一になって運動し」亡いことについて苦悩しなければならないかという、その制約の根源をあばく気魄がないのであろうか。》p256
◎「不満と希望─男性作家の描く女性について(『読売新聞」記者との一問一答)1935年1月20,22日
(問)女性作家の立場から男の作家の女性描写を検討してほしい
(答え)女を男の作家が書くというのは結局、どこまで現実的な人間を描けるか、ということ。優れた男性作家が欲女性を書いてはいる、けれど女が読むとどうも不満が残るのはなぜか、と友だちとは成していたところ、男性作家は、女性を自分たちに都合いいように書いているから、と。《現在あるままの社会生活で女との関係を考えている男の人たちにとって、あんまり都合よくないようなものが、案外いきいきした、つまり歴史を前に押し出すような性質を持った女の感情であり、行為である場合が多いので、困ったものだネ、と……》p262
◎「バルザックに対する評価」芸術遺産研究会編『文学古典の再認識』現代文化社、1935年2月
マルクスは、ホーマア、シェクスピア、ゲーテ、とともにバルザックを高く評価
バルザック「クロンウェル」
《十九世紀という大きな世紀にふさわしい大きい素質をもって生まれたオノレ・ド・バルザックの全生活、全労作を通じて相剋した現実に対する認識の積極面と消極面との激しい縺れあいの姿こそ、実に我々に多くのことを教える。
人間の美徳も悪徳も社会的関係によるものであることを理解したのは、十九世紀の歴史的な勝利であった。》p295
→けれど批判も 看破した「金の力」に屈服しちゃった
◎「新年号の『文学評論』その他」『文学評論』1935年2月号
『文学評論』:呂赫若「牛車」/前号「新聞配達夫」
『婦人文芸』新年号~中国、植民地婦人作家の紹介。喜ばしい。松田解子「田舎者」連載開始、遠山葉子"西鶴、近松の描いた女性についての考察"
『大法輪』「転向者文教座談会」記者:長谷川寿子「過去の共産思想を精算し」
◎p316~「窪川稲子のこと」『文芸首都』1935年3月号、同志で同時に窪川稲子「中條さんについて」が掲載される
◎「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」『文学評論』1936年8月号
トルストイが、自分の肉体を刺激する「女性」を憎んでいるのに対し、《同じ年頃のゴーリキイは、難と素朴な初恋を経験していたことであろう。「初恋について」
◎「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」『改造』1936年8月臨時増刊号
《 一九三六年六月一八日。マクシム・ゴーリキイの豊富にして多彩な一生が終わった。ちょうどソヴェト同盟の新しい憲法草案が公表されて一週間ほど後のことであった。》p366
◎「マクシム・ゴーリキイの伝記」未完の遺稿
店員をしていたゴーリキイ少年、お客の女性が去った後、男性店員たちが陰口を言って嗤うのを聞き、少年はたまらない気持ちになる。《「そんなときには、店から駈け出して行って、婦人客に追い縋り、彼らについての陰口をぶちまけてやりたい心持ちに駆り立てられるのである」》p407
小僧ゴーリキイに料理人スムールイは本を読めという。《「豚の中にいては、お前の身が台無しだ。俺はお前が可哀そうでならねえ。奴等もみんな可哀想でならねえ」》p415
◎「十月の文芸時評」東京日日新聞1936年9月23-29日
佐藤俊子「小さき歩み」(『改造』)《ああ、しばらく、と挨拶をするような心持で》読んだ。p474
深田久弥「強者連盟」複雑な後味
芹沢光治良「習俗記」(改造)、船橋聖一「葉山汲子」、荒木巍「新しき塩」(中央公論)、宇野千代「未練」(中央公論)、立野信之「空白」 =《感想を語る興味が生ぜず》《以上の諸作品が、それぞれの作家にちって自信のあるものでないことは誰の読後感においても明らかなことであるから。》p478
◎「「或る女」についてのノート」『文芸』1936年10月号
《私は作者がどうしてこれほどの執着をもって、この題材に当たったのであろうかという好奇心を感じた。何故なら、率直に言ってこれは菊判六百頁に近い程永く書かせる種類の題材でなく感じられたし、長篇小説として見ればどちらかと言えば成功し難い作品であるから。》p489
激しい憎しみを持ってる男の面影をたたえた我が子を、葉子が可愛いと思うだろうか。《母性は非常に本源的なものであるが、それだけに無差別な横溢はしないものであると感じられる。》《結婚が女の生涯を縛りつけた重みの中には、倦まされた子を育てるという悲しむべき受動性も感情にいれられなければならないだろう。》p495
やっぱ百合子さん、本物だ。まっすぐにものを見、語る。
《一見非凡であって実は平凡な葉子の矛盾》に有島武郎は興味を引かれながら、《葉子の現実を徹底的には解剖も解決もし得なかったということを感じるの である。》〔一九三六年十月〕
◎「落ちたままのネジ」時事新報1936年10月6-8日
プロレタリア文学の敗北、という現実の中で書かれた文。
《私は、石坂洋次郎氏や横光氏その他の野望的な作家が、プロレタリア文学に対立することで、実はプロレタリア文学を敗北せしめたと全く同じ性質の美本適時場に、形こそ違えやっぱり小股をすくわれていたのだという事実に対して、人間らしく、口惜しがってほしいのである。》p502