鳥小屋は資材置き場になっている
はじまりは兄と通っていたピアノ教室までの道のり 鶏を飼う老夫婦の家があった
覚えてないけど、私と兄は帰りに鳥小屋をぼんやり見つめていたらしい
そして、その家にお邪魔してお茶をいただいたりしていたらしい
その話を聞いた祖父が対抗意識を燃やし、鶏をうちに迎え入れた
飼い始めて数年後、鳥インフルの煽りを受けて鶏は絞め殺す事になった
夕飯に出た鶏肉はもう老鶏だったせいかパサついていた
鳥小屋の跡地は犬小屋になり、でも人目につかないせいか犬が寂しがったので小屋は移され、そして資材置き場になった
老夫婦宅の鳥小屋もいつの間にか無くなっていた
ただ、ご夫婦とはたまに顔を合わせ挨拶を交わす事があった
しばらく見ないうちに立派なお嬢さんになって〜なんて言われ照れたりした
思えば子供の頃は周囲の大人が風景を作り、優しい眼差しで見守られていた
何も作り出せなかった私は、その頃手にした大切なモノを失うばかりで俯いている
鳥小屋は もう無い
祖父も老夫婦も もういない
大切なものは目には見えない
失う事で見えるようになった
(私も誰かをなつかせたかったのかな)
鳥飼を名乗る人間はボロい日本家屋で軟禁されてそう、と言われたことがある
実家は割とこういう感じ
釜戸はとっくに壊れているし、もちろんボロい
内容がずっとずっと暗い
ネガハラって言うのか、こういうの
《要約》病気は人を孤立させる