外でたまに、目を瞑りながら歩く
1、2、3、4…
常に傍で潜んでいる死を明るみに出した気分になる
意識せずには真っ直ぐ歩けなかった時期がある
少し気を抜くだけで白線を越えてしまう
そんな私の真横をダンプが我が物顔で通り抜けて行った
その時気が付いた
自分は死ぬ選択をしなかったから生きている訳ではない、無意識に生きる道をしっかり選んできた
目を瞑る時もちゃっかり交通量の少ない真っ直ぐな道を選んで行っている
簡単に臨死体験が出来るという理由で観覧車と歩道橋が好きだけれど、ジェットコースターは死に近すぎる気がして苦手
同じ理由でバイクに乗るのが怖く免許を取得出来ていない
あれ、ちゃんと選んでる
いつか死んでしまう
いつまで生きよう
そこは選択出来ないはずなのに、多分きっとしばらくは生きてるだろうから
身体が治って、正しく世界を見聞き出来るようになってから
両親に我が子を亡くした悲しい人になって欲しくない 可愛い犬だっている 大切な存在を見送ってから
自分が居なくなってからも噂話にされるのが嫌で意地でも死んでやるか的な気概があったわけだけれど、結局の所自分の事にしか興味無い事が発覚
これは今となってはどうでもいいような気もしてる
両親以外の他者については自分をどう楽しませてくれるか以外関心が無い
関わっておもしろいと判断した存在を、言わばプリンやチョコレートだとか日常を彩る嗜好品のように捉えてしまう
食べたい時にだけ取り出して貪る
美味しくないと感じた部分は容赦無く捨てる
そして、タチの悪い事に依存癖があるため、食べられなくなったら追いかけてしまう
共に過ごす時間にだけすがり、存在をぞんざいに扱ってしまう
その割に、例えばとても恨んでいる人がいるとして、嫌っている人がいるとして、そんな人が死にかけていると知れば変に情を流してしまう
助けられる状況ならば手を差し伸べる
なんだろう、それ
結果的に情に絆されるのなら、常に他者へ関心を向けるべきじゃないかな
無関心の反対は愛なんだってさ
愛をやるべきだよ、それ
そうか、嗜好品の誕生秘話とか製造工程にまで目を向ければ…
なんだろう、それ
生きる理由は実はある
愛おしいモノがそこかしこに落ちているのに全て見過ごしてきたんじゃないかって そんな気がしてならないから
それでも身体があまりに私を拒絶するから すぐに放棄してしまいたくなる
よく分からんけど隣人を愛するといいらしい 何処かで誰かが噂していた
好きの反対は無関心とかいう誤訳が未だに出回ってるみたいだけれど、現実を直視出来なくなった嫌われ者が縋り付いてる言わば亡霊みたいな言葉なんだろう そうに違いない