太陽星座が牡牛座で、月星座が射手座の人間である。そういうことをふと書くことにした。
「南の島に行きたい」とか、「高原の別荘でのんびりしたい」とか、「極北でオーロラを見たい」とか、現実逃避のためのアイコンには色々な種類がある。しかし現実に、それらを叶えようと行動したことはない。
南の島(で、解放感と異国情緒は味わいたいが、外国ならではの言語や通貨などの煩わしさ、観光客の多さなどはないものとしたい)。
高原の別荘(で、上品な自然に囲まれ静かに過ごしたいが、別荘の維持管理や虫退治、車社会の面倒くささなどは味わいたくない)。
極北でオーロラ(の、圧倒的な美しさに胸打たれたいが、できればすぐに快適な環境に戻って休めるとありがたい)。
当然、これらいずれのパターンも、お金の心配をしないで良い場合に限る。
机上の摩擦係数のような条件をすべて「ないものとする」想像は爽快だが、地に足がつかねば心は満たされてくれない。
自分の場合、こういった想像を何パターンかしてみた上で、心の中で「そこそこ都心に近くて治安が良くて由緒正しい町並みや寺社もあって公園もあって職場との距離もつかず離れずな町の片隅に一人で暮らしたい。大切な本に囲まれていて、何種類かのお茶を気が向いたときに淹れて飲むことができて、疲れたら眠ることができる生活がいい」などと唱えてにんまりすることが多い。
自分の太陽星座は牡牛座である。これが自分は気に入っている。土属性、不動宮の星座で、変化を嫌いどっしりと佇み、五感で確かめられる物を愛する。逆に、動く時は(牛の反芻のように)ゆっくりと継続的に動き続ける性質をもつという。
一方で、月星座というものがあり、自分のそれは射手座である。火属性、柔軟宮の星座で、哲学と旅を愛し、理想を追って一直線に遠くへ飛んでいくことができる性質をもつ。月星座というのは「本音」のようなもので、当人としては首をかしげたくなるものが多いらしい。
そういう二面性を併せ持った自分にしてみると「そこそこ都心に近くて(以下略)」の長々しいマントラを唱えるのは、ジオラマの町を空飛ぶ箒から見下ろしているかのようで、なんともいえず幸せなことだと思う。
決して高く飛ぶのは性に合わないのだが、低空飛行を続けてそれなりの年月が経ち、自分の好きな景色というものがおおよそわかってきた気がする。
それは必ずしも南の島や高原や極北に行って拝む景色ではなく、小さなマンションの一部屋で満たされるものだと知っている。その見慣れた景色を何度となく反芻することで、毎日なんとなく満足して、眠りにつくことができているのだと思う。
(2023/11/17)