銀河英雄伝説より、政治の終わりなき葛藤

torino
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 田中芳樹『銀河英雄伝説』を読み返している。

 スペース・オペラと分類したきりにするのはいささか乱暴で、いつかの宇宙の諸惑星を舞台にした、血に塗れた政治と戦争のシミュレーション物語でもある。専制政治と民主政治の、いずれも無謬たりえないことを痛感しながら、強いて言えばどちらをより信じたいか考え続ける物語とも言える。

 この物語はフィクションだが、これを読んで思いを馳せる社会は残念ながらノンフィクションである。

 民主主義国家のとある提督、〈不敗の魔術師〉ヤン・ウェンリーは、己の矛盾した立場を噛み締めながら言う。

「軍事力は民主主義を産み落としながら、その功績を誇ることは許されない。」

 軍人ではなく歴史学者になりたかったはずのヤン・ウェンリーは、自国で権力を振るう一部の者に対して、こう突きつける。

「専制とは、市民から選ばれない為政者が権力と暴力によって市民の自由を奪い、支配することだろう。それは即ち、貴官たちが今、ハイネセンでやっていることだ。貴官たちこそが専制者だ、そうではないか。」

 民主主義の腐敗を一掃せよと蜂起した者たちこそが、皮肉にも残虐な専制者と化す。それは、暴力にも「場合によっては」「一時的な方便としての」正義があると信じ込む短絡さのためだ。

 これはかつて現実の地球に生きたジャック・デリダの思想だが、法とは、秩序なきところに秩序を創設する暴力的なものであり、原初の「力の一撃」による決定を受け容れることによって正義らしきものが成り立っているのにすぎない。正義を証明することなど本来ナンセンスで、排斥には際限がなく、暴力と正義の結び付けは人為的なものだ。

 銀河帝国の苛烈な支配者である〈常勝の天才〉ラインハルト・フォン・ローエングラムはこう言う。

「民主共和政とは、人民が自由意志によって自分たち自身の制度と精神をおとしめる政体のことか。」

 対してヤンの考えはこうだ。

「専制政治の罪とは、人民が政治の失敗を他人のせいにできる、という点に尽きるのです。」

 専制政治は賢明な君主が現れなければ、かつ長期的にその状態が続かなければ(人民にとって)成功しない。

 民主政治は無数に分裂し、迂遠であり、かつそれが独裁ではないという免罪符を持つ。

 いずれにも暴力は存在する。

 現状の民主主義に満足できるわけでもなく、専制政治に期待するわけでもなく、それでいて自分はアナキストにもなれそうにない。と、民主政治への淡い期待を胸に思う。

 いつでも権力を欲するものや混乱を好むものたちがいるのは仕方ない社会で、せめてそこに掲げられた権力や暴力の旗印が、明確すぎないものであってほしいと思う。かといってそれを砕いて無政府主義の波に委ねてしまうことは、比較的確かな舵を手放すことに他ならない気もする。

 かつて政治哲学を学んでいたころ、こう言われた。「どんな理論も、狂信者の前には無力である」。この圧倒的な言葉に絶望しながら、出来る限り血の流れない社会はないか、と、一市民として考えては途方に暮れる。

(2024/3/13)