昨日の夜は、銀座にいた。
銀座という街は、美しいところだ。クラシカルで上品に煌めいていて、名前のついた通りが幾筋も真っすぐに伸びて交差している。大通りはやけに広々として、うかれたように大きな建物ばかりなのに、空は不思議と広い気がする。交差点にそびえる和光の時計塔は、威厳ある街のシンボルだ。
初夏の青空を鏡のように映すビルも美しいし、秋の日暮れにぼんやりと街灯が点り始める光景も綺麗だ。そんな年中を通して私がいちばん好きなのは、冬の夜の銀座の風景だ。
なぜだろうか、銀座の夜景は、ひとの横顔がとても美しく映える。特に、冬の凛とした空気に頬や鼻先を赤くした、ふうと息を吐くひとたちの横顔だ。
昨晩は約束の時間までしばらくあったので、ぼんやりと街角に立って、ひとを見ていた。三越前で待合せしている人たちの横顔。ステッキを小脇に抱え、タクシーを呼び止める紳士の横顔。紙袋をいくつか提げて、電話しながら時計塔を見上げるお姉さんの横顔。味わい深くて気高くて、なんだかすべてが映画のワンシーンに見えて、うっとりしてしまった。
近くに地下鉄の入り口を見つけて、寒そうに入ってゆく人たち。白く輝く街灯やビルの灯りを背景に、写真を撮りあう人たち。じっと眺めて見送っている。やがて「この街に自然と佇んでいられるようになって、うれしい」と、じんわり感じた。威風堂々とした街だけれど、気後れはもうそんなにしない。それより、この美しい街の風景の一部になれていることが、うれしくて楽しい。
ひと駅ごとにめまぐるしく違う姿と歴史を見せる、東京という魅惑の街を愛している。ふとした時に、そう思う。同じくらい多面的な、様々な思い出を蘇らせながら。
私の好きなミュージシャン、中田裕二(元・椿屋四重奏Vo.)の曲に「サブウェイを乗り継いで」というものがある。
懐かしくて軽妙でちょっとやるせない、東京に放り出された一人のひとの唄だ。曲の中ほど(03:20あたり)では、車掌のようなトーンで中田裕二がうたう。
「大手町の地下要塞 西船の埃っぽい朝 葛西に帰れない下北の夜 錦糸町の下世話な店
銀座の夜は気高くて 新宿は魔性を秘めていて 相も変わらず憧れで ただいま八重洲あたり午前二時半」
あいもかわらずあこがれで、という言葉の甘美さに痺れる。
自分は東京以外の街で生まれ育ち、成人してから東京に暮らしてそれなりに経つ。どこへ行くにも電車に乗って、あちこちさまよい歩くにつれ、この歌詞の味わいがどんどん深まっていった(ただいま八重洲あたり午前二時半、のどうしようもなさとか笑)。東京に負けられないのさ、と空を見上げつつ、この街が好きです、と素直に言いたい気持ちにさせられる。
ギラギラと底知れない夜の街も、埃っぽい朝の町並みも、すべて東京の魅力だ。かつては地元以外知らなかったけれど、勇気と勢いで東京に暮らし始め、いつしかこの街を愛せるようになって、誇りに思えて、本当によかった。
気高い銀座の街角で、そんなことを思いながら、コートのポケットに手を突っ込んで立っていた。
(2024/1/16)