振り返らざるを得ない過去

torino
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 カウンセリングの内容をぼうっと反芻している。こういうふうに話をしたい、今のことより過去のことを話したい、カウンセリングは自分にとって大切な場である、ということを新しいカウンセラーさんと共有できてよかった。

 親との「現在」は、正直割とどうでもいい。地球上でたった数人無視して逃げ切ればいいだけ。イベントでしかない。

 だが「過去」はもう、ずっと存在しつづける。親の死に際にとどめ刺してやるみたいな復讐とか溜飲を下げるとか、そういう発想がもうとっくに届かない次元に、すでに完了した歴史として残っている。

 戦争ではなく植民地支配だった、と思う。そもそも対等な勢力ではなかったから。この数年で、国交はもう回復したらしい。親はそのつもりだ。「国交正常化」という言葉は、とりなす立場(のつもり)の父からも言われたんだ。悪い冗談のようだ。現実のイベントとして国交回復したから何だ? 弾圧で失われた文化、変わり果てた風景、そして死んだ人間は、戻ってこない。消化とか乗り越えるとか付き合い方とか、そういう次元にない。

 ぼくが全く望んでいない「結婚」のことを、かれらは「自助努力」と呼んだ。そして「男と結婚しろ」と吐き捨てるように言って、こちらの首を掻き切った。この言葉に殺されたので、ずっと忘れない。

 異性同士が結婚することは、ひとり幸福に生きることよりも優位であるそうだ。独身を選ぶことは、「いつか脱出するべき」と思われる状況に身を置いていることになるらしい。

 歴史上の出来事の数々が、独立国になった幸せな今でも、大きな影を落とす。親の誕生日とか父の日母の日とか、朝貢制度はようやく無視し始めたが。

 カウンセラーさんに「どんな状態が幸せだと思う?」と聞かれて、パッと浮かんだものを答えた。

「ひとりで、静かに穏やかに暮らせていて、たくさん本が読めて、お茶が飲めて、できれば庭があって風が吹いていたら幸せだと思います」

 ぼくはそう思う。

(2024/06/21)