二日前、人生で初めて家出をした。距離は、車で45分ほどの距離を4時間かけて歩いた。クロックスと冷めたカイロ二つ、辛うじて風を遮れるくらいの上着だけで、歩き続けた。理由は、同居人(敢えてこの呼び方を使う)から「病院なんか行くな」「何が鬱病だ」「働いていないのは社会人としておかしい」「出ていけ」などのことを言われ、挙句本当に殴ってきそうだったから。トイレに行くふりをして、走って逃げた。家が嫌だったし、お前の言うよう好きにさせてもらいたいと思った。後に母から「連れ去られたらどうするの」と言われたけれど、連れ去って欲しかった。顔も分からないくらいに殴られて、殺して欲しかった。「これがお前たちの招いたことだ」と思い知ってほしかった。でも、現実そう上手くはいかないもので、補導されることもなく私は歩き続けた。身体はどんどん冷えていくし、左手は動かなくなって浮腫んでいくし、でも心は真逆でずっと幸せな脳内物質が出ているらしかった。夜の冷たさに、体が透明になっていくようでとても楽だった。知り合いの方の家に着いたのは、12時きっちりで「なんだか馬鹿だな」なんて思った。温かいカフェラテとサンドイッチを食べさせてもらった。思えば、彼とあんなにちゃんと話したのは初めてだったから、きっと向こうも引いていただろう。いつもは話さない女が、唐突に(しかも歩いて)家に来て話始めるのだから。
知り合いが母に連絡をした。最初はメールで、あまりに反応がないものだから電話をしてもらった。母は電話で唐突に泣き、怒った。電話をした知り合いからすれば、理不尽極まりない話だ。母の反応は案の定で、知り合いは「そんないきなり怒るようなことはしないだろう」と言っていたけれど、顔を見るなり頭を叩かれた。この女は、そんな人である。母が来てから、知り合いは説教を始めた。私にではなく、母に。「あなたは耐えることが出来ても、この人は逃げられない」この言葉がとても残っている。でも正直、どれだけ母に言おうとも意味はないのだ。この人が折れることはないし、この家が変わることはない。家を出られるきっかけがない限り、これはずっと続くのだ。
さて、家に帰る途中、育ての親から連絡があった。彼もどうやら探してくれていたそうだ。この家出をあまり母が引き摺らないことを彼は話していた。痕から聞いた話だが、育ての親は「自分が見つけなくて良かった」と言っていたらしい。きっと殴ってしまうから、とのことで。これを聞いた時、怖いとは思わなかった。この人が決してそんなことをする人ではないという保険もあるのだが、それ以上に「この人はやはり私の『保護者』なのだ」という確信めいた何かが彼の言葉から感じられたからだ。私が本当に求めているものは、正しく愛し、正しく叱る人なのかもしれない。正論ではなく、私に合う形で叱り、愛する人。こんなことを言えば、クリニックの先生は「支配に依存しないで」と言うかもしれない。でも、痛みが私を形作ってきた。痛みが私に輪郭を与え、行動を促してきた。きっと私はこれからも支配と愛の境界線を歩いてくのかもしれない。
【追記】警察の説教は、ここに記せるほどではないくらいに薄い内容だった。「心配してくれる人を大切にしなさい」「独り立ちしなさい」なんて。出来たら、とっくにやっているもの。