忘れないために
今朝のこと
数日前からピルの影響で完全に体を壊している。思うように体は動かないし、何より体が重い。本当に思い通りに動かない。どうしようもない。はやく死ねたら、どれだけ楽か。消えてしまいたい。実習での失態とも重なって、電車に飛び込めるのならさっさと飛び込んでしまいたい。なんでこうなるしかないのか。勿論、理由は明白で、私が本当に教職に向いていないからだ。これ以外の考えはない。さっさとやめてしまえばいいのに、まだ縋りつく。諦めればいいのに。
残念なことに、メンタルもやられていることは明白だ。女性ホルモンが暴走しているのか。今は、先生のカウンセリングも何も効かない。先生たちが敵に回るのが怖い。何時見放されるだろう。迷惑ばかりかけて。大学院なんか来るんじゃなかった。あの時、死んでおけばよかった。ずっとそんなことを思っている。
母に、七月の間だけでいいからメンクリにもう一度通わせてほしいことを伝え、今日は了解を得られた。奇跡としか思えない。車を走らせて、行った。本当に夢を見ているかのようだった。
半年ぶりに行ったメンクリは変わっていなかった。きっとあの場所は時が変わらないのだろう。だからこそ、安心できるのだと思う。メンクリの先生に「今自分の中で起こっている事」「2月の終りからどんなことがあったのかのダイジェスト」「死ななきゃならないという考えに憑りつかれること」「とにかく助けてほしい事」「自分が今やっていること」を伝えた。分かったことは、あの金縛りのようなものはパニック発作だということだ。妖怪ではないけれど、名前がついて初めて安心することもあるのだと思った。うまく伝えられなかったのは、今自分が苦しんでいる実習のこととN先生のことだ。もし、次に行けたらもう少しちゃんと言葉にして伝えておきたい。そして、最後に、女性相談に通っていることと婦人科に行っていることを褒められた。「あなたがそんなことまで出来てるなんて!」と驚いて、褒めてくれた。すごく嬉しかった。
薬ももらえた。1日1錠。半錠にすれば、2か月持つ。少しかもしれないけれど、改善には近付いたかもしれない。
ごめんなさい
家に帰って来たら、母が熱中症になったらしく、弱っていた。草むしりをしていたらしい。痛み止めを飲んで寝ている間に、麻婆茄子を作った、130円であれだけの量が入っている茄子はかなりお得だった。もう一つを切って、塩もみをした。醤油・ごま油・お酢で食べると滅茶苦茶美味しかった。また作りたい。母にも食べさせたら、美味しいと言ってくれた。長持ちしないこと以外は、とてもいい料理だ。
まだ少し寝ぼけている母が話し始めた。鬱がどんな状態なの?ということから始まったと思う。私はラジオの例を使って説明した。分かってもらえなくても良かったし、きっといつもの揺さぶりだと思った。でも、説明した。
完全には分かってもらえなかった。でも、良かった。
母は続けた。もしかしたら、今までの自分のせいで私がこうなってしまっているのかもしれないということを。確かに弟の扱いと、私が同じくらいの年齢だった時の扱いは違うかったということ。辛い思いをさせて、ごめんなさいと。
もっといろんなことを言ってくれていたけれど、覚えているのはこれくらいだった。どうすればよかったんだろう。私も分からなかった。笑ってごまかせていたのは最初の内だけで、最後の方は泣いてしまった。母も泣いていた。もっと真っ当に生きていたら、母にこんなことを考えさせなかった。自分がたまらなく憎らしかった。生きていることも死のうと考えていることも、本当に辛くなった。なんでだろう。
最後に言われた。どんな形であっても、例え自分が死んでしまっても、幸せに生きていて欲しいと言われた。あんなにも、「私を悲しませないで。死ぬなんてこと考えないで」と言っていた人に、「自分が死んだ後も幸せに生きていて欲しい」なんて。そんなこと言われると思っていなかった。
私は、どうすればいいのですか。たすけてください。たまらなく苦しいです、苦しいですよ。サンタマリア。ねえどうか、早く私を楽にしてください。いっそ母のことを憎み、完全に縁を切ってしまえたら。でも、そんなことできるはずもない。生きることが葛藤することなのだとしたら、早くやめてしまいたい。
こんな苦しさ、さっさと忘れさせてください。