「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」
という有名な言葉があるらしい。アメリカの政治家や首相などが引用し広く知られたものらしいが、これは僕らのような、人の上に立たない人間にはある意味当てはまらない。というより、僕は勘違いしていた。
あたかも人々の力を合わせれば大きなことを成し遂げられるように聞こえるが、信念を共にしない者がただ集まっても烏合の衆。ひとりで突き進める力を持った人でなければ結局何も成せはしないだろう。あるいは他者を引っ張っていくカリスマ性と精緻な計画性を持ち合わせた者か。いずれにせよ、間違っても足元が見えていないただの凡人が他者を率いて何かを成そうとしてはいけない。なにも為していなかった僕はそれにすら気が付いていなかったが、幸運なことに考えを改める機会を得たのが昨年だ。遠くに行くなど夢のまた夢だと、現実に打ちひしがれた。
それでも僕は遠くに行きたかった。別に大事業を興したいとかではなく、僕にとっての遠くを見ることをやめたくなかった。それを追い求めることこそが人生だと思うのだ。別に早くなくて良い。それこそ僕の人生を賭して最終的にそこにたどり着ければ良い。そのためには、まずは現状を正確に把握し足元を見つめ直す必要があった。道にあった靴を履き、自分自身で靴紐を結ぶことなくして歩いていくことはできない。
そんなこんなで、今年はひとりで行くための準備の年だった。せこせこと行動を変え習慣化したりしたし、踏み出せなかった一人旅行に行ったりもできた。一年前に立てた人生のロードマップの進捗で言えば半分に満たない程度の達成率であったが、それでもこの孤独で長い道のりに踏み出す準備はできたと思う。
もしかしたらこの先、どこかの誰かと共に同じ場所を目指す時が来るかもしれない。ひとりで孤独に進むより、きっと早くより遠くへ行ける。しかしながらそれは僕がひとりで進んだ延長線上にあるかもしれない未来なだけで、立ち止まって居る人の前にひとりでに降って湧くものではない。だから僕は行くのだ。ひとりでも。