かの2ちゃんねるの掲示板では、現実の出来事っぽく投稿されたSSが完結後に創作だとわかると、途端に怒り始める人々がいる。そういう人たちにとっては現実に起こったことであれば面白く、フィクションであるならば取るに足らないものなのかもしれない。「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるくらいだ。世間というものはフィクションよりも現実に即した物語の方が好きなのではないかと思うことが多々ある。
僕は全くの逆で、むしろフィクションばかりを好む。フィクションしか愛せないと言っても良い。どちらかといえばキャラクターの心情を汲み取ったり、演出の機微を類推したり、作者の意図を楽しんだりすることに長けていると思う。その反面、現実に居る人とのコミュニケーションは全く持って苦手だ。相手が何を求めているのかもわからないし、こちらとしてもあまり興味が無い。この線引きは一体どこにあるのだろうか。
これは純粋に、僕の人間不信的な思想が入り込んでいるからな気もする。人間誰しも汚いところや憚られる部分があって、それを隠したりうまく折り合いをつけて生きている。そんな人々の体験から、面白いところだけを抽出したり想像したりしてできたのがフィクションだから、フィクションの方が面白いに決まっているじゃないか、という論法だ。作品は作者との会話だと思って消費しているが、別に作者自身を好きになったりはしない。あくまで別物である。
そう考えると、それこそアイドルや配信者、VTuberといったコンテンツなどはこの中間に位置するような気もする。現実の出来事なのだけれども作られたもので、そこには一定の水準がある。決して現実をそのままうつしたものではない。作られたものだからこそ面白い。僕らのようなコミュニケーションが苦手な人々にとってもある程度魅力的で、かつ現実思考の者にも拒否反応が無い。
良く考えてみればただのペルソナの一つでしかないが、そういう強固なペルソナが無いと人と関わりを持てないのが僕という人間なのだろう。現実のコミュニケーションでそれぞれのペルソナを使い分けるからこそ、他人への関心の低さが発生する。関心がそのペルソナの奥へと行くことはない。それもまた人付き合いの一つなのかもしれないが、それだけだと結局どうにもならないのだろうなとも思う。まあそれでも、僕はまだ踏み込もうとは思わないのだけれど。