目標も計画も、ただの手段の一つ

toro_ponz
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「一年の計は元旦にあり」。そんな言葉がある。元旦と言わずとも、三が日で今年の動きに思いを馳せている人も多いだろう。それは抱負だったり、目標だったりという形で言語化、アウトプットされる。より良いものだと具体的な行動計画に落とし込まれていることだろう。段階的にステップアップしていくアクションが明確になっていれば、スムーズな目標達成が見込めるはずだ。

ここで一つ考えてみる。詳細な「行動計画」が目標の達成のためであるならば、一体「目標」は何のために掲げ、何のために推し進めるのだろう。目標を達成すると我々は何を得るのだろうか。例えば貯金が目標であるならば、達成した時にお金を得ているのは明白であるが、そのお金がどのような効能を発揮するかは人それぞれであろう。老後のため、結婚資金、将来的な漠然とした不安のため……。そういう「目的」が、目標の背後にはあるはずだ。

それを突き詰めると目的というモノからは、自分の人生における最終的な理想状態が見えてくる。子供に囲まれて幸せに生きたいだとか、偉業を成し遂げて大衆に感謝されていたいだとか。もっと具体的なものがある人も居るだろう。言い換えるなら、人生を掛けて向かう、目指すべき場所だ。生きる目的と言っても良い。

そう考えると僕らがまず考えるべきは一年間の目標でも、それをドリルダウンした行動計画でもなく、この最終地点なのではないか。その幹がしっかりしていれば、一年間の目標も行動計画もただの枝葉でしかない。僕の昨年の目標達成率は半分ほどであったが、それは年始に考えた目標と実際の行動が少しずれていただけで、実際にはちゃんと最終地点に近づくような動きができていたので、良いものとして評価することができた。目標を達成するのが目的にならないように気を付けねばならない。

こんなことばかり考えると僕のように頭でっかちになってしまうが、数年に一回くらいはより大きな視点で、生きる目的みたいなものを考えても良いんじゃないかなと思う。一度しっかり考えておけば、迷ったときの指針の一つになるはずだ。もちろん、目指すべき場所が何かの拍子に変わってしまうのも、また人生なのだろうとも思いつつ。