どこで本を読むのかについて

とさ
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人はどこで本を読むのかがふと気になった。

ちょうどその時、私はコインランドリーの待合室で本を読んでいた。普段は電車の中で読んでいることが多いいかもしれない。自宅で読むことは少ないかもしれない。そんなことないかもしれない、昨日の夜も布団の中で横になりながら本を読んでいた。図書館でも本を読むかもしれない。図書館に通う習慣はないのだが、正しく本を読むためにある場所だ。

例えば、川岸で本を読む人がいるかもしれない。河川敷で野球少年の声を聞きながら、ダラダラとページをめくっているのかもしれない。読むことに疲れたら川沿いを散歩する。近所にあるコーヒーショップに立ち寄って熱いコーヒーを飲む。また土手にすわり、文庫本のページをめくる。ふと気がつくと、太陽は西に傾き始めて段々と気温が落ちてくる。今日の夜ご飯は何にしようかななんて考えながら家に帰宅する。それも、いい休日なのかもしれない。

最近は、読み聞かせのアプリを利用して本を読んでいる。読んでいるというより、聞いているのほうが表現として正しいのかもしれない。読み聞かせのいいところは両手と両目が塞がらないことだ。イヤホンを耳につけて、ひたすらそこら辺を散歩しながら本を読んでいる。一定のペースで読み聞かせてくれるからか思いの外一冊一冊が早く読むことができる。

音声で読書をすることは結構気にいっている。場面やシーンを想像しながら、街を歩く。気がつくと、2〜3駅先まで歩いてしまっていることもある。

不思議だなと思ったのが、自分の中で場所と読んでいたシーンの情景が記憶として結びつくところだ。近所はよく散歩するので記憶と結びついている場所が多いい。ああ、この歩道橋を上がってあるときはあのシーンの話をしていたよなと、普段歩いているときもふと、小説の憧憬が思い浮かぶ。この橋をわたりきったところぐらいで主人公は彼女と会えなくなったなとか。

実は小説に限ったことではなくて考え事をしているときも場所と考えていることが結びついていたりする。

記憶の鍵を街の中にそっとおいてきているみたいだなと、冬物のコートを取り出しながら思った。

@tosa
ゆっくり歩く、水を飲む