これは時代を超えて通用する原則の一つだ。
はるか昔、狩猟採集時代においては、生き延びるために食料を発見することや、野生動物から襲われないように逃げることが生きるための努力の一つだったはずだ。また戦国時代においては食料の確保の他にも、武士によって辻斬りされないように立ち回ることも大事だっただろう。
現代の法律において、人権・生きる権利は保障されているし、日本ならば入社すれば簡単に解雇することはできない。昔の時代に比べれば食料の確保は容易になり、事故死は減り、弱者であっても生きられるようになっているだろう。いざとなったら生活保護という制度もある。このような世の中だと生きることは所与のものとして錯覚しがちであるが、生きるために何もしなくてよいのではなく、生きるための努力は必要である。
リーダーは何かの拍子に「社員を切り捨てるのか」「弱者を切り捨てるのか」という批判にさらされることもあるだろう。その批判の是非はともかく、その「社員」や「弱者」は生きるための努力をしているのか、というのが重要な点である。たとえ弱者であっても、生きるための努力をしなければ生きることはできない。今と昔では形態こそ異なっているかもしれないが、本質は同じである。