コロナ禍のとき、多くの人が外出を自粛した。自分もその一人だ。しかしそのとき、人は何を思って自粛していただろうか?
自分は不必要な外出は控えていたが、時折実家には帰省していた。もちろん感染リスクは考慮して行動し、公共スペースでは不要に手で触れないようにしていたし、電車に乗るときはできるだけ人の少ない日時を選んだ。新幹線の列車に4人しか乗っていなければ、感染リスクはほとんどないに等しいだろう。
自分の父は2023年に亡くなった。2022年まではそんな未来は予想していなかったが、会える回数も、実はかなり限られていたのだ。コロナ禍で帰省を避けていれば、一緒に過ごせる時間をすべて放棄するところだった。
そもそも、コロナに感染しなくても、死ぬ可能性は常にある。家から外出すれば交通事故のリスクがあるし、ひょっとしたら殺人事件に巻き込まれる可能性もある。普段、そのようなリスクを考慮して外出を控えていただろうか?
大事なのは「死なないために生きない」ということだ。何をしても人生の最後に待つのは「死」だ。むしろ「死」こそが人生のゴールともいえる。大事なのはゴールするときに「後悔」ではなく、「なんだかんだで、いい人生だったな」と思えるかどうかだ。
こうして考えたとき、「これは死のリスクを取ってでもやりたい」と思うことがどれだけあるだろうか。人生、残された時間は意外と多くない。健康寿命を考えれば60歳〜70歳がせいぜいだろうし、明日死ぬ可能性だってゼロではない。眼の前のことにとらわれず、後悔のない人生を送るようにしたい。