今日は、教授のお誕生日だ。去年から天国にいるんだ。
その音楽においてはもちろんだけれど、考え方や生き様や、私にとって小さいころからひょっとしたら一番影響を受けている人かもしれないのが坂本龍一さん、教授である。
いつもかっこいい音楽を届けてくれて何かあれば同じ思いでデモにたったりマスコミにむかって意見を言ってくれたり理不尽で無意味な戦争に反対してくれたり原発反対や、神宮外苑の開発の撤回を直接知事へ意見した教授のお誕生日だ。
昨年までは、そういった「自分はニュートラルにいろいろ調べて見て聞いて偏った意見は取り入れないようにして、でもこういう考えに至っているよ」ということを教授や大江健三郎さんが表立って意見してくれていることと答え合わせをして勇気をもらっていた。
「よかった。私も一緒だ。」と。「私はこう思うに至ったけど、坂本さんも大江さんも同じように思っているよ。」とむねをかりていた。
でももうそれができなくなった。二人とも天国にいっちゃったから。
天国でもきっと同じように戦争や紛争や虐殺や理不尽なことに反対していると思うけど。
今は幸い、福島みずほさんや、宇都宮けんじさんや教授のお嬢さんである美雨さんや信頼できるメディア、報道機関と、信頼できるGazaに入っていた友人からの情報と、自分がたどりついた思う事の答え合わせをして、よかった、おんなじだ。そうだよね。と思えているんだけど。
今回のイスラエルがガザで大量の虐殺を行っている紛争についても、もちろん戦争はどちらが悪い、ということはない。
おたがいに殺し合い憎しみあっているかぎり解決に至らない。そのうえ民間人を殺したり攻撃したり、ましてや病院をねらったりするのはありえない。
今回のイスラエルがやっていることは、子供や病人や徹底的に弱者を攻撃している。それはまず国際人道法的にもやってはいけないことだし、それこそがまず問題だ。国際社会がなぜ、停戦まで動かせないのか。
その国の一部の武装勢力が奇襲攻撃をしかけたからといって、その国民を皆殺しにしていいわけじゃない。それにイスラエルの一般の多くの人や兵士や首相までもが、パレスチナ人なんかみんな死んでしまえ、とSNSやメディアで発信していたりそれに大きく傾いて同調していることに私は恐怖を感じるし、震撼する。
もちろんイスラエル人の中にもそんなことには反対している人もいるんだけど、とってもマイノリティだ。こういう人たちもいるんだ、と少しほっとしたりするけどそれこそが本題ではない。ましてやイスラエルがやっている残虐行為を正当化することにはつながらない。すべての状況を「しょうがないよね」「自分らじゃどうもできないし」ということだけは言いたくない。
ガザで毎日赤ちゃんが外傷が全くないのに、耳から血を流してまるで生きているかのように死んでいたり生物兵器で痙攣している小さい子をみたりすると、巻き込まれちゃいけない弱いものが、この世のものとは思えないくら恐ろしい方法でことごとく犠牲になっていることに絶望しそうになる。
強固な意思をもってある一つの民族を絶滅させようと手段を選ばず民間人を狙っている同じ人間がいることに絶望する。
そんなことで、ずっと気分は晴れない。さえない。
今まではいろんな悲惨なことが世界のどこかであっても、でもきっと大丈夫、人間は最後の最後で捨てたもんじゃない、と思えるはずだ、と少しの希望があったんだけど、今回ばかりはそう思えない。
このあいだ、前に住んでいたところでどんと焼きがあった。すごい煙がたちこめてお団子を焼いて無病息災を願うんだけどその時にも煙の中でいぶされて、空爆にあって煤で真っ白になっている子供のことが浮かんだりして、それをまた身近な人になんとなく話したりしてしまって、「またその話か」と言われた時。
それはそれは悲しかったんだ。
弱きもののことをいつも考えている。赤ちゃんや子供、障害のある人。動物たち。巻き込まれちゃいけない人たちのこと。
ほんとうはこんなことがなければ幸せに暮らしていたかもしれない普通の人たちや動物たちのこと。
戦争なんかぜんぜんやりたくないのになぜか死んでしまった人たちのこと。
教授のお誕生日にむけて、寂しいなぁ、あの、ぼそぼそとした声がききたいなぁ。教授が生きてたらどんなことを発信していたかなぁ、とおもいつつ、頭の中にふわっと流れてきたkokoというこの上なく穏やかな曲を亡くなった方にささげ、一日も早い停戦を願い、自分には何ができるかを考える日々です。