散文

沙良
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 私は別に文章を書くことが好きではない。もちろん得意でもない。けど、文章を書ける人に憧れがある。書けることに憧れがあると言った方が近いかもしれない。もっと自分の思考や感情に近しい言葉を出力することができたら文章を書くことを好きだと思えるのかもしれない。誰だって初めから上手だったわけではないとわかっている。それでも、もう20歳を過ぎてしまった私が、今から言葉を磨くことに何の意味があるのだろうかと考えてしまう。意味なんて必要ないだろう。そうだ、そんなこともわかっている。

 じゃあ、たぶん私は言葉が好きなのだ。文章を書くことも好きなのだ。もっと訓練したい。本気で言葉を捻出してみたい。私が尊敬するような人になるためには、そういう過程が必要なんだ。

 そして、私はもっと勉強をしたい。制御できない感情、世の中の構造、思考の行き着く先、そういう複雑なものをもっと正しく理解できるようになりたい。今現実を生きている実存としての自分自身も、机上で行う学問も、どちらも私に必要なものだ。

 わかっているのに行動に移せないのは、気力がないからだろうか。やりたいことがあっても、次から次へと襲い掛かる不安の数々にやられてしまう。これが解決したら、この悩みがなくなったら。そんな仮定を作ったところで不安がなくなることなんてないのに。私は今、行動すべきなのだ。

 いや、行動したいのだ。シュタルクの言葉を借りるならば、必要なのは覚悟だけなのだ。その覚悟がずっとできないでいる。私はどういう風に生きたいのか。それは私が一番わかっているはずだ。覚悟をするにはどうしたらいいのだろう。決意するには、誓うには、勇気を出すには?

 でも同時に、逃げたい気持ちも存在している。私はもっと休みたい。休んでいいんだよと言われたい。誰かに許可をもらわないと、休むことに対して罪悪感がついて回る。私はもっと、実存としての私を生きたいのに。

 こうして今日も、昨日と何も変わらないまま生きている。さらっと出てきた言葉ではなく考えぬいた言葉を使いたいのに、そうする余力もないまま今日が過ぎていく。これでいいとは思わないけど、それが今の私なのだ。

@tozuki_10
気楽に、ひっそりと書く場所。好きなものの話や日々の記録など。