もう散々SNSに書き散らかしている母のことについて。
こういうのあまり人が見るところに書かない方がいいんだろうな、と思いつつ頭の中でとっ散らかって抱えきれなくなってきたのでここに吐き出しておきます。
母は「肝不全」という肝臓の病気の末期。今、生きていることが不思議なくらいの状態です。判明したのは昨年12月頭でした。実際はそれよりもだいぶ前から顔に黄疸が出ていたので、ちょっとずつ病は進行していたのでしょう。
病院を信じられなくなるまで
10年くらい前から脂肪肝だと言われていて、それからしばらくは内科の薬を服薬していました。ただ、診てもらったのが田舎の小さな総合病院で適切な治療を受けられず医療不信に陥った母は途中で治療をやめてしまいます。
内科の医師から「まずは1ヶ月に10kg痩せなさい」と言われたそうで、過酷な食事制限とダイエットをして痩せたにもかかわらず、検査の数値は横ばいで治療に進展がなかったそうです。ダイエットでお米を制限し食べることができず、毎食のように食べなければならないサラダにうんざり。食が大好きだった母の心はそこでポッキリ折れてしまい、病院に行ったところで解決しない!もういい!と医療への信頼を捨てました。
近くで暮らすようになって
1年と少し前に両親は田舎の暮らしを離れ、首都圏に住む私の近くに移住してきました。コロナ禍前までは毎年顔を合わせていましたが、数年会わないうちにすっかりヨボヨボになっていた母を見た時はかなりショックで、もしかしたら肝臓の病気が進行しているか、他に悪い病気を抱えているのでは?と感じました。
そこで母へ健康診断がてらこっちの病院にかかってみたら?と打診しましたが「いや、病院には行きたくない」との一点張り。それで早死にされたら自分が後悔するんだよ、と伝えても「その時はその時だから。あんたは何も気にしなくていい」と言われて、そういえばこの人は昔から頑固だったなぁと…。
何を言っても響かないからもう父も私も諦めていました。(一人っ子なので身近に説得できる人間は父と自分しかいない)
誰がどう見てもおかしな状態なのに
数ヶ月前、夫のお母さんと両親が久々に会った際に「お母さんだいぶ顔色悪いと思うから病院に連れて行ってあげて」と言われ、流石に人づてのお願いなら聞いてくれるかな?と説得を試みるもやはりNG。みんなに心配かけてるんだから一回くらい行ってみたらいいでしょう、と伝えるも頑なに行こうとしません。だけど確かに黄疸が進行しているのが自分でもよくわかりました。
今思えばもっと早く肝臓の病気を調べておけばよかった。黄疸が見てわかるようになった頃に肝硬変についてはさらっと調べたのですが、それを放置するとどのように進行していくのかまではちゃんと把握していませんでした。
そして1ヶ月前の12月、ついに母の体に大きな異変が現れます。腹水と浮腫です。
不測の事態は突然やってくる
両親が近くに引っ越してきてから普段は2~3週間に1回くらい顔を合わせているんですが、こちらがバタバタして1ヶ月ほど会えていなかったことを思い出して「食事でもどう?」と連絡を取りました。
久々にかけたテレビ電話の向こうではなんだか冴えない感じの母と、母の後ろに立っていた父が珍しく「そしたら明日会おう、ちょうどそっちに行こうと思ってたんだよ」と言ってきました。普段父はそんな積極的に言ってくる人間ではないし、なんかあったかな?と思いつつ、会えるのを楽しみに翌日家に行くと母が玄関に立っており、なんとお腹から下がすべて2倍ぐらいのサイズになっていました。
「急にむくんじゃってさ…正座もできないし動きづらくて困っちゃって」
いやいやいや、これはマズいでしょう。明らかに状態異常です。「流石に病院に行こう?行ってお医者さんにむくみをとる薬もらって動けるようにしてもらおう?ちゃんとした病院調べるから」「うん…」
近くにある大きめの病院を急いで調べて、じゃあもう明日にでも行かないと!と慌てていると、
「あのさ…病院年明けじゃだめ?」「もしかすると入院かもしれないでしょ…お正月くらいは家で過ごしたい」
母の意思は尊重したいけども、あなた今その状態で何を呑気なことを言っているのかと。そもそも黄疸がひどいんだし、むくみのレベルが明らかに自宅療養できる範囲を超えているので何にせよ病院にはかからないといけないよ、と伝えてついに説得に成功しました。しかしどう考えてもこれは手遅れです。
「おばあちゃん(母の母)と同じ胆管がんかなぁ。ごめんねぇ心配かけて」
まだがんかどうかはわからないけど、もうこれは完治するような状態ではないんだろうなぁ、と家族全員が何となく察していました。
その日すぐには病院へ行けず、結局数日後に肝臓の専門医がいる総合病院へ行くことになりました。
手遅れでもやれることはある
「こうなったのはもうしゃーない。その代わりなるべくスムーズにいろんなことが進むようにしとこう」
まだ元気があるうちにポジティブな終活をしよう。悲しくてわんわん泣いても良い状況でしたが何だかそれは違う気がして、少なくとも親の前ではなるべく気丈に振る舞っておきたかったのです。
遺影写真、そういえばちゃんと決めてなかったね。この写真でいい?私が遺影作るから。黄疸消しとくよ、シミとシワも消しとく?
とか、
保険入ってる?がん保険だけ?入院とか特約ついてるんじゃない?
とか、
棺桶に入れて欲しいもの、前話してたよね。どこにあるんだっけ?
とか。
葬儀そのものはどうする?前に火葬だけで良いって言ってたけど流石に寂しいから家族葬くらいはするからね。
などなど。
悲しくなるから普段はあんまり話したくないことですが、遠くない未来にたどり着く死をイメージして必要なことを色々と確認しておきました。
「死んだあとのことについてこんなふうに話すなんて考えたことなかったね。でも不思議と今とっても楽しいわ!」
母が嬉しそうに言った、その顔と声をよく覚えています。
そしていよいよ通院の日がやってくるのです。