12月初旬、母が肝不全のため入院しました。主治医の先生からはいつ命を落としてもおかしくない状態、と宣告されました。
やっぱり家に帰りたい母
私は仕事もあり毎日はお見舞いに行けませんでしたが、父は毎日見舞いに行き、母の洗濯物を回収して届けて身の回りのものを補充したり、母を全力で支えていました。
ただ悲しいことにコロナ禍を経て病院の面会が1日30分・大人2人までと制限されていました。あまりに面会時間が短く母どころか父まで寂しそうな様子。それでも今思えば面会ができるだけまだ良かったのです。
母の入院生活ですが、最初のうちは病院では看護師さんと先生が良くしてくれるし利尿剤が効いてむくみも少し落ち着いた気がする〜と元気そうにしていましたが、時間が経つにつれて「退院できないの?」とばかり言うように。また、食事の制限や厳しい飲水制限があり(1,000ml/日)、面会も一瞬で終わってしまうことで1日にメリハリがなく、徐々に母の心がつらくなっていったようです。
結局入院から3週間ほど経った時点で病状が良くも悪くもなく、立って歩くこともできていたので、ギリギリ年明け前に退院することができました。入院生活の最後の方は看護師さんや先生に「退院したい、退院させてくれ」と常に泣きついていたようです。
我が家の"隊長"
ちょうどその頃、私は風邪を拗らせて声が出なくなり子どもも熱を出したりと感染症のリスクがあったので退院の日に駆けつけることはできませんでしたが、家に帰ってきて落ち着いてるよーと父から一報がありホッとしました。
母が家に帰ると同時に父の看護生活が始まります。私は同居していないのですぐに駆けつけて何かすることはできず、食事や服薬、飲水制限など母のことはすべて父頼みでした。制限の厳しい食事の用意だけは自信がなさそうでしたが、まぁなんとかやるさ〜と言っていたのが父らしい。
声が出ないまま気づいたら正月を迎えて、夫のお母さんが遠方から我が家に来てくれたので、新年の挨拶とお見舞いにみんなで父と母の元へ。自宅で過ごす母の状態はあまり良くないように見えましたが、自宅で年を越して今年も家族同士で新年の挨拶ができたことをとても喜んでいました。
母が弱々しい声で「お父さんがね、我が家の"隊長"なの」と言っていたのが印象的で、それから何かにつけて父のことを「隊長、隊長」と言っていました。家の中を見ると、母の生活が少しでもうまくいくよう随所に工夫を凝らしていました。きっとそんな様子を見て"隊長"と呼んでいたのかもしれません。そんな父の姿を見て、大丈夫そうだな、と思うと同時に張り切りすぎて疲れないかすこし心配でもありました。
徐々に忘れていく、母
「そういえば、お母さんトイレの電気つけれなくなっちゃって」
いつかはそうなる時が来ると思っていましたが、いざそういう話を聞くとやはりショックではあります。肝性脳症か、入院したことによる認知症なのか。でも他の生活はとりあえず大丈夫だからと。それでも何か起こるんじゃないかと心配で仕方ない。
年明けから数日後、退院後初めての通院に付き添って欲しいと頼まれて向かいました。母は「仕事忙しいんだから無理してこなくていいんだよ、もう帰りなさい」と言ってくれましたが、自分も主治医の先生の話を聞きたかったので診察までは付き添うことに。検査の結果は横ばいで、自宅での様子などを先生に伝えて引き続き様子見ですね、とのこと。
「もしちょっとでも苦しそうにしてたり、起きれなくなったりしたらどうすれば…」と父が聞くと先生が「その時は再度入院となります。遠慮なく救急車を呼んでくださいね」と言ってくれてホッとした様子の父。
診察後母は点滴があるので、主治医の先生のお話も聞けたから自分は戻るねーと病院を後にしようとしたところで母から「えぇ、もう帰るの?」と。「帰るよー」と言うと「何で?もう帰っちゃうの?」と強く引き止められました。「ごめん、だけど仕事が忙しくて…帰らないと」と伝えても「いいじゃないちょっとくらい」と引き下がりません。結局父が宥めてくれて帰りましたが、何だか違和感が。来たときと言ってることがまるで違う…。
顔を見て安心したとか、短い時間で心境の変化があったのかもしれないですが、にしても今までこんな風な物言いで困らされることはなかったので正直とても困惑してしまいました。これは肝性脳症か認知症か。…ずっとその比較ばかり。それとも本当に母はそう思った?なんにせよ、引き留めに応えられなかった自分がものすごく悪い人間のような気がしました。
それから気まずくなり会うことを躊躇ってしまい、仕事も忙しく顔を見せられないまま2週間が過ぎていきました。
余談:代理終活
そういえば、母の入院中に父と葬儀場を決めてきました。
というのも、葬儀屋に対して「人が亡くなったと思ったら急に駆けつけて判断力が落ちているところに高額なプランやオプションをふっかけてくる」という悪いイメージがあったので(今はそうじゃないかもしれないですが)、いざという時慌てないようにするため先にお世話になる場所くらいは決めておこうという話になったのです。
私たち一家はもともと北海道の田舎で暮らしていましたが、田舎の葬儀事情といえば「キャパ200~300人・お通夜/お葬式の2DAYS」というイメージ。人が亡くなっているのにとにかく残された家族の準備が大変で出費もえらいこと。その出費を大勢の参列者の香典で賄うという仕組みなんですが、人を呼ぶのもまた大変です。そんな面倒なことは一切しなくていいからね、と母はずっと言っていました。
「葬儀なんていらないからそのまま火葬場に突っ込んでくれ」とも言っていましたが、さすがに直葬はこちらの気持ち的にどうなの、ということでせめて家族葬だよね〜、と自宅近くに新しくできた家族葬ホールをあたってみました。
どの葬儀社も大体同じだと思いますが、家族葬などの葬儀プランがいくつか用意されており、どれも基本的には高額な料金設定がされています。ただ、生前に会員登録などをして利用する意思を示しておくと、実際亡くなって葬儀をする際にはそこから半額くらい値引きされて利用できるという仕組みのようです。
最初に書かされる顧客アンケートには「他の葬儀社と契約している」という選択肢もあったのでとんだ囲い込みだなぁと思いつつ、特にデメリットもなさそうだったので自宅近くの家族葬ホールの会員になり、無事会員料金で葬儀をしてもらえることになりました。
最近ネット葬儀だか何だかで詐欺が流行ってるそうですが、ネットじゃなくても提示されている葬儀プランには含まれていないもの(オプション等)がいくつもあります。プラン料金以外にこれも要ります、で一番インパクトがでかいのはお布施です。こればかりは日本人かつ仏教である以上避けられないと思いますので、亡くなる人の宗派はちゃんと把握しておいた方が良いでしょう。細かいところだと供花(喪主花)とか、遺体の安置費用なんかも地味にかかってきます。
そのような諸費用込みでいくらになるかというのは、生前に余裕がある段階で葬儀社の人へ確認しておくと心穏やかにいられますよ。