言葉にならぬため息の 灰

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昨日がパンケーキデーでした。15世紀から続く英国のユイショ正しい行事だそうです。イースターの日曜日の47日前の火曜日に当たるそうです。詳しくは下記の記事よりお読みください。

その愉快なパンケーキレースの翌日、今日が灰の水曜日になります。

これもまたキリスト教の行事で、額に十字の形に灰をつけます。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に、この灰の水曜日のエピソードがあります。わたし、この『百年の孤独』は、登場人物全員が主人公だと思っているんですが、その中のひとり、ブエンディア家の次男、アウレリャノ、ブエンディア大佐の17人の息子たちのエピソードです。アウレリャノは、たくさんの愛すべき対象に恵まれているにも関わらず、ひとを愛する能力が欠如しているという人物で、自分でそのことをわかっているのかいないのか、各地で関わった女性とのあいだに17人の息子をもうけます。その子たちが『百年の孤独』の舞台であるマコンデのブエンディア家を訪ねてきて――

敬虔な気持ちからというよりふざけ半分に、彼らがあとについて聖体拝領席まで行くと、そこで待っていたアントニオ・イサベル神父が額に灰で十字の印を描いてくれた。帰宅してから、いちばん年下の男が額の汚れを洗い落とそうとすると、消えないことがわかった。兄たちのそれも同じだった。みんなは水とシャボンで、また土とたわしで、最後には軽石と灰汁で試してみたが、十字のしるしは消せなかった。(略)「このほうがいいわ」と、彼らを送りだしながらウルスラが言った。「これからは、お前たちを見間違える者はいないよ」

『百年の孤独』鼓 直訳(新潮社)

以下、ネタバレですので、未読の方はご注意ください。ここで閉じてしまうかたは、これだけでも見て行って。これはみんぱくのアルテポプテル展『生命の木』本当に『百年の孤独』ってこんな感じ。こんなふうに一本のメインになる木に、王様が縛り付けられ、黄金細工の魚や磁石、焼いてしまった詩稿や、レベーカが食べた土がくっついている感じ。

17人の息子たちの額の灰の十字が消せない。これによって、息子たちはアウレリャノの敵対勢力に狙われることになります。これを初めて読んだ時、逆カインとアベルみたいだと思いました。旧約聖書のカインは、人類初の殺人犯として地上を追われ、それでも誰もカインを傷つけることがないように印をつけられる。アウレリャノの息子たちは、その灰の十字が消せないために、敵対勢力から追われる。ちょっと寂しそうなところがアウレリャノによく似ている17人の息子たちは額の十字が目印となって、全員が殺されてしまいます。こうしてアウレリャノは、愛すべき者をまた失って――

灰は、旧約聖書にも出てきて、人生の試練を表していたりします。涙と共に食べるとか、頭から灰をかぶるとか。今日のタイトルがこちら。

死んでしまったものの、

失われた痛みの、

ひそやかなふれあいの、

言葉にならぬため息の、

『灰』ウンベルト サバ 須賀敦子訳

ユダヤの言葉にも、とても印象的で好きな言葉があります。最後にひとつ。

ポケットはいつも二つ

そこに書きとめておくがいい

一つには

<ワレ、埃(ちり)ト灰ニスギズ>

いま一つには

<コノ世ハ、ワガタメニ創ラレタリ>

プナム・ド・プシケ

『ユダヤの言葉』ヴィクトール・マルカ編 智慧の手帖

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せらと言います。読んだ本や、美術館&博物館で見た展示の記録などを書いて行こうと思っています。twとマストドンとblue skyに同じアカウントでうろうろしております。