おおお、もう1か月以上経っている……!
3月31日(日)、大阪のtoi booksさんにて、ジョン・ファンテ『塵に訊け』刊行記念イベント「〈書けない苦しみ〉を日本語に ―アルトゥーロ・バンディーニの声を訳す愉悦―」栗原俊秀氏 がありまして、参加して来ました。生(なま)栗原先生でしたよ……! 参加できて良かった……! 開始10分くらい前に本屋さんに到着しまして。その時点で20人くらいいたのかな、ここに集まったひとたちは、翻訳に、イタリア文学に(イタリア系アメリカ文学も)、栗原先生に、ファンテに、興味があって、それが好きで集まったんだ、と、ちょっと胸が熱くなりました……!
◎新訳『塵に訊け』について
旧版DHCの都甲幸治訳『塵に訊け』は絶版。栗原先生訳の『デイゴ・レッド』が出た時は、旧訳の『塵に訊け』はそれほど高騰していなかったそうです。が、『バンディーニ家よ、春を待て』『満ちみてる生』『犬と負け犬』『ロサンゼルスへの道』と訳していくうちに旧訳『塵に訊け』が高騰していって、栗原訳ファンテが出たから高くなった?というような話も。
◎ファンテ(の代表作)は『塵に訊け』だと思うけど、読者はどう思う?
栗原先生にとっては『ロサンゼルスへの道』が代表作だそうです。『塵に訊け』がファンテの代表作だと言われるのは、舞台である土地が魅力的だから。LAという土地抜きには語れない。主人公アルトゥーロは、とにかくこのLAを歩いている(貧しいから他にすることがない)。『塵に訊け』 は、1930年代前半のアメリカ文学で、最もLAが生き生きと描かれている作品。キャラクターの言動に視点を当てると『ロサンゼルスへの道』、土地に視点を当てると『塵に訊け』だそうです。
福岡のイベントでアルトゥーロと編集者の手紙のやりとりの質問があったそうで、栗原先生は、そういうことに読者は興味があるのかと思って、ファンテの編集者であるメンケンの手紙を訳したレジメを作って来られて、それを読みながらお話をして頂きました。
◎ヘンリー・ルイス・メンケン
雑誌『スマートセット』『アメリカンマーキュリー』の編集者。『デイゴ・レッド』の巻末に13編中8編が、この『アメリカンマーキュリー』に掲載されたとあります。『アメリカンマーキュリー』は、ファンテのキャリアにとって、とても大切な雑誌だった。ファンテはニーチェにかぶれていたそうで。メンケンはニーチェの本を書いていて(出版していて?)、この本の影響でファンテはカトリックを離れた(『塵に訊け』の冒頭にもアルトゥーロが教会を去る場面がある)。ファンテの知的形成においてメンケンの影響は計り知れないそうです。
◎メンケンの手紙
何のツテもない、なにものでもないファンテに対してのメンケンの返信の誠実さ、優しさ。ファンテは西海岸、メンケンは東海岸在住なのに、手紙のやりとりの日付が近い、つまり、メンケンは手紙を受け取ったらすぐに返事を書いている。知らんふりしてほうっておかないで、「ここはだめだった」「ここは良かった」「掲載はできないが、何かを書いたら喜んで読む」と励まし、原稿も返送している。栗原先生は「とにかくメンケンはいい人だ」と繰り返していました。
わたしが最もメンケンいい人だ……! と思ったのが1932年11月19日の手紙。メンケンが「はじめての聖体拝領」の原稿を受け取った時の手紙で、最良の一篇であると書かれていて、そんで。ファンテは、別の原稿を別の雑誌に送ったことをメンケンへの手紙に書いたそうで。その内容についてメンケンが苦言を呈しております。あなたの性格とか苦境とか、首を吊ろうとしているとか書かなくていいから、ただ原稿の1ページめに名前と住所だけ書いて送りなさい、と。いいひと! メンケンめっちゃいいひと!!
最後の手紙が1933年の10月12日になります。メンケンがアメリカンマーキュリーを辞めることになり、その最後の挨拶をファンテに送っています。在任中に良い作品を書いてくれて感謝する、大いなる喜びをもって(ファンテとの)仕事を振り返るだろう、と最後まで謙虚さは変わらなかった。『満ちみてる生』の献辞はメンケンに宛てられている。
◎質疑応答
Q.栗原先生とファンテとの出会いは?
A.2010年からイタリアに留学していて、その授業で読んだそうです。イタリア系アメリカ作品『とあるWAPのオデュッセイア』、アメリカに暮らすイタリア移民の悲喜交々を上手く描いている(アメリカンマーキュリー掲載)。
Q.『塵に訊け』訳で意識したことは?
A.文体というものを読者にわかってほしい。ブコウスキに影響を与えたと言われているが、栗原先生としては違うんじゃないかと思っている。ブコウスキは短い文章で畳み掛けているが、ファンテはだらだらと書いていて、なかなか一文が終わらない。アルトゥーロのそういうだらだらした文章を出したい、表現したい、とそういう話も。
Q.ファンテはアメリカではどういう風に評価されている?
A.生前は不遇。継続的に出版できず、埋もれた作家になったが、最晩年にブコウスキによって再評価された。80年代にファンテリバイバルが起こり、各国でも翻訳される。フランスが一番人気、遅れてイタリア。イタリアの書店ではファンテ作品が全部ある。
Q.Podcastなどの配信は?
A.具体的なプランはない。『ロサンゼルスへの道』だけはある。(そんでこのあたりで、ヨルさんのポッドキャストの話が)
Q.イタリアでの人気の理由は?
A.イタリア系というのが大きい。初代ファンテの故郷で、ファンテフェスティバルというお祭りがあり、ジョンファンテ文学賞があって、受賞者は売れっ子作家になっているそうで。『デイゴ・レッド』『満ちみてる生』『バンディーニ家よ、春を待て』で、祖父ファンテのキャラクターが強烈で、イタリア人は、このキャラクターの中に、古き良きイタリア人を見ているのかも知れない。祖父ファンテ! 初代様(嬉)!!
なんでニック・ファンテを祖父とか初代様と呼ぶのかと言うと。わたしは以前、こういう記事を書きました。ジョン・ファンテいいよ!と教えて頂いたのに、その息子ダン・ファンテの本を手に取る、という粗忽をやらかしてしまいまして。でも、本当にダン・ファンテ、読めて良かった。
今回のイベントに参加して(ダン・ファンテの『天使はポケットに何も入れていない』のネタバレにもなるので上手く言えないのですが)良い本を読んで、良かったよ、面白かったよ、と発信する、誰かが受けてくれる、興味を持って読んでくれる、それが繰り返されて、こうしてファンテの本が六冊も出たのだな、としみじみと実感しました。ファンテを教えて下さったヨイヨルさん、栗原先生、toi booksさん、ありがとうございました!