『リンゴ畑のマーティン・ピピン』まずは上巻の感想!

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『リンゴ畑のマーティン・ピピン』上下巻 ファージョン 石井桃子訳 読み終わりましたー。tw(blue skyも)のフォロワーさんが、ずっと好きだと言われていた作品です。はーー……。もう、美しい、とにかく美しい物語でした。こう、ものすごく美しい川が流れていて、流れに押し流されながら、その流れに映るピピンが語る物語を見ているような、最初から最後までずっとそんな感覚でした。

話としては。以下引用。

恋人から引き離されて井戸屋形に閉じ込められている少女ジリアンを、六人の娘たちが牢番として見張っています。リンゴ畑を通りかかった旅の歌い手マーティン・ピピンは、娘たちの前で、美しく幻想的な恋物語を語ります。

わたしの好きな入れ子構造。でへへ。作中の人物がさらに物語を語る。これ、本当にすごく好き。それも登場人物がずーーっと語っているんじゃなくて、時々、聞き手が質問する、語り手が話を中断するとか、もうすごく好き。上下巻二冊、みっちり堪能しました。

舞台はイギリス、サセックスのアドバセン(この作品世界、すごくいい...…! この世界で生きたい...…! 乳しぼりの子たちに混ぜて、とは言わない、ジリアンちの下働きで雇ってくれないかな...!)えー、ここを通りかかった旅の歌い手マーティン・ピピンは、泣きながら麦蒔きをしている青年を見かけます。ピピンは、その青年の恋人ジリアンが井戸屋形に閉じ込められていて、という話を聞くのですが。上記の引用で井戸屋形に閉じ込められて〜とあります。これがなかなかに守りが固い建物で。まず、堀があり、その内側にサンザシの生垣がぐるりとあり、入口はひとつだけ、その内側にリンゴ畑があり、そのリンゴ畑に井戸屋形がある(且つ、その井戸屋形には六つの鍵がかかっていて、牢番の娘たちがひとつずつ持っている)。ピピンが初めてくだんのリンゴ畑を訪れ、娘たちと話をした時に

「わたしたちが、一日おどっていたとて、あのひと(ジリアン)は、考えごとに夢中で、顔も上げないよ。」

「だけど、それは、このひと(ピピン)が、そのあいだずっと木戸のむこうがわにいてくれればの話――」

「――そして、わたしたちは、こっちがわにいてね」

こういったやりとりがあるのですが、この『むこうがわ』『こっちがわ』というのがすごく印象的でした。堀、サンザシの生垣、たったひとつの入口、だけど、別に魔法を使って囲んでいるわけではない、結界を張っているわけでもない。でも、なにこの【異界感】(またそんな言葉を勝手に作る……)

区切られて、閉じられている感、すごいな!

(や、わたしはこう、閉じられた楽園系好きなので、これはこれでいいんじゃないの、などと思ったんだけど、それでは話にならないのだな)

ジリアンに恋人を忘れさせるためには、新しい恋の話が必要だということで、ピピンは木戸をからリンゴ畑に入り、話を語り始めます。六話あるんだけど、読むたびに「あ、これ好き」と思ってしまった。とにかくどの話も文章そのものも、そこから生まれるイメージも美しく、青草や花の香り、土の匂いなども生々しく、波、鳥や動物の声、風の音なども、酩酊とでも言うのか、読んでいて心地が良い。ずっとこの文章に浸っていたい、晒されていたい、と、こんなに文章とか物語を五感フル活用して『取り込みたい』と思ったのは初めてかも。以下、1話につき一言くらいずつ。

第1話 王さまの納屋

サセックスの貧しい王さまが鍛冶屋で働くことになり、週末は祈りと黙想をして過ごすのですが、その時に池で出会った娘が――

二本のブナの大木のあいだに、王はひれふし、そののちの時間を黙想と祈りにひたってすごした。しかし、やがて、その黙想のふかい湖は、歌の音によってみだされた。それはまるで、銀色の魚の群がその湖に泳ぎ、表面にはね、静けさをうちやぶり、百万もの美しい小波でかきみだすようでもあった。というのは、いまや、鳥の音は、半ばは、王の身の内から、半ばは、外から聞こえてくるようだった。鳥の歌が、水におちる魚のように王の夢の上におちて、それを破ったのだとすれば、たしかに、その魚は、王の胸からはねたのであり、その胸のうちに王がいままで知らずしてもっていた、たくさんのうつろの穴から、名づけようのないあこがれの群がとびだしてきたのだと思われた。

やっぱり最初の話の印象というのは大きいな。衝撃、という方がいいかも。お話の文章は、基本的には、登場人物のせりふ、行動、感情、だと思っている。このお話にはそれ以外のものがたくさん書かれている。それ以外、その正体はわからない、というか、つかみようがなく、その不思議さ、未知の感覚に目が覚めるようでした。あとやっぱり書き写したい欲が久しぶりに。王と娘との池での出会いや、娘の美しさの表現とか全文を写したい、身の内に取り込みたい。

第2話 若ジェラード

羊飼いのジェラードじいは、若ジェラードが21歳になったら主人に農奴として売ることを決めていた。若ジェラードは、その主人の娘シアと出会って――

まだ花が咲かないサクラの木、そしてカップに注がれた乳、こういう繰り返されるモチーフ、本当に好き――!

「ばばあ、おめえを、まえにどこで見かけたかな。」と、かれはいった。

「わたしをまえに見たことが、おありか?」老婆は聞いた。

「どうもそんな気がした、どうも見たようだ。」ジェラードじいは、記憶の中をさぐりながらいった。

「では、九十九年前の四月、ふたりで恋を語らったときででもあろう。」

こういうの、これもすごく好き、良かった……! そしてやっぱりシアが水に落ちてからかなあ。せりふも地の文もすべて素晴らしい。ここも全文書き写したい。

第3話 夢の水車場

サイドルシャムの沼地にある水車場、そこに住むヘレンは世間からかなり切り離されていた。ヘレンが十七歳の時、やって来た船乗りが一切れのパンを乞う。船乗りは、その礼としてヘレンに貝を渡す。二十年後――

これは娘たちじゃなくても、わたしもツッコミを入れた。

3話の中で一番幻想的だったなあ。時系列通りではなく、かなりあちこち飛ぶんだけど、パズルのピースを、ここ、とか、右端、とか、埋めていく感覚で読みました。えっ、三十七歳? どういうこと? いいの? と、ちょっと心配してしまったな。

「おまえは、見知らぬ土地を、金色の小麦の畑で満たし、どこまでもおれを歩かせるようにした。」

「そして、あなたは、見知らぬ海に金色の光をなげかけ、そこで、わたしがいつまでも漂うようにした」

ヘレンが船乗りからもらった貝を心臓の上にあてる、という記述があり、これが本当に切なかった。沼地に育ち、海を知らず、他者もほとんど知らず、そのヘレンが、見ず知らずの船乗りからもらった【貝】、ヘレンにとっては、それは小さな海、海そのものだったんだろうな、新しいこと、今まで起きたことがなかったこと、始まったこと。二十年、その胸にあて続けた。船乗りも。ヘレンが渡した麦の穂を。

ピピン殿は、六つの物語を語るわけだけど、若者と娘が結ばれたら、割とそこですぐに「はい! 終わり!」と ずどん! と終わらせる。で、聞き手のむすめ達は「あれは!?」「この謎は!?」と機銃掃射のようなツッコミを入れる。ピピン殿は「女はささいなことを聞きたがるものだ」とぼやきながら、追加の話を語る―― これ、わたしは1話と2話は、さほど追加の話は、なくてもいいかなと思ったけど、この夢の水車場は追加の話がないとだめだな。あれで終わってはだめだよ。

わたしは映画でも小説でも、特にハッピーエンドでなくてもへーきなのですが、いやー、これは乳搾りの娘たちに引っ張られているのか、結ばれるよね! 幸せに終わるよね! ピピン任せたからな! と、ヘレンと若衆のらぶらぶエンディングを祈りました。

長くなったな。下巻感想はまた明日!

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せらと言います。読んだ本や、美術館&博物館で見た展示の記録などを書いて行こうと思っています。twとマストドンとblue skyに同じアカウントでうろうろしております。